Chasing Diamonds

長文考察愛だだ漏れ系aimのぶろぐ。140字じゃ足りない愛は原石を追いかけて。

原点と頂点の交点 ~わたしの翔きょも論~

 

 

翔くん、入所27周年おめでとうございます。

櫻井翔として生きる中で、アイドルになってくれて、アイドルでいることを選び続けてくれて、本当にありがとうございます。

入所日に書くのが翔くん1人へのブログではないのはゆるくとも担当を名乗るものとしてどうなのかなと思いつつ、このブログを書くことが、私が人生で一番、翔くんへの気持ちをきちんと解剖して言語化する方法だったので、綴らせてください。

 

去年の8月に書いた京ジェぶろぐに続いて”論”なんてタイトルにつけてみたものの、これはやっぱり、”私はなんでこんなにも翔きょもを好きなのか”という根拠をかき集めて、翔くんと大我さんがどれだけどういう風に素敵な人なのか、改めて解明して記しておきたいだけのブログ。

特に今回は自分にとっての”自担とは”に向き合う記録でもあるので、めちゃくちゃ個人的。オールどどどど主観。

それを踏まえた上で読んでくださる方には最大級の感謝を。少しでも面白がってもらえるなら嬉しい限りです。

 

 

 

 

 

 

1. ノーブルな異端者

 

翔きょもの共通点としてまず  ”わかりやすい”  のは育ちの良さかなと思う。

方向性が違うとはいえ、家族や生まれ持った容姿、プライベートな環境がかなりハイレベルなふたり。

それ故に持ち得るノーブルさというのはやっぱり特別な要素で。家族を反面教師にして素敵な大人になるってケースもたくさんあると思うし、家庭環境に優劣をつける意図は全くない。ただふとした瞬間に垣間見える気品というのはやっぱり生まれ持った素質と家庭環境が大きく影響する要素だと思う。

グループの外側でソロとして立っている瞬間や、(特に翔くんに多い)所謂”公式”的な場面で光る 無理や強張りを感じさせない丁寧な言葉の紡ぎ方、そして纏う気品ある空気は、ふたりが幼い頃から自然と身につけたノーブルさによるものも大きく、特別な共通点だと思う。

 

そしてこういった環境に生まれ育っていることで、極端に言えば、何の努力もしなくても苦労しないで生きていく道だってあったはず。(ご家族のエピソードまで大好きなオタクなので、両家ともそれを許すご家族ではなさそうなところまで好きだけど)

 

それでも、ふたりはジャニーズという道を選び、もっとすごいことに、選び”続けて”いる。

 

普通の10代では絶対経験しない、本当にシビアに比較と品定めをされるような環境。しかも生まれ持った素質は(あの信じ難いほどの顔の良さですら)大きなアドバンテージにはならないし、誰かが見つけた正解を踏襲するのはむしろ逆効果で、特殊な努力がこれでもかと必要とされる道。

ノーブルさを纏った人たちがあえてその厳しい方へ飛び込み、そして飛び込み”続ける”異端なチャレンジャーであるところが、最高にかっこよくて好きなところのひとつなんだと思う。

 

翔くんの方が時代もあって”ジャニーズ初”をわかりやすくたくさん築いているけど、ふたりとも、ジャニーズの中でも割と異端なチャレンジャーと言っていいと思う。

初めての大卒アイドルであり、ラップを持ってきた人であり、Jr.時代"は”最先端のファッションリーダー(もしくはギャル男)であり、ニュースキャスターの道を自ら切り拓いて整え続けてきた人。

Jr.時代から直談判で自作の曲を披露する機会をもらっていたり、ミュージカル界の巨匠に見出されてその世界を邁進していたり、主演ミュージカルの音楽まで手掛けるようになっている人。

ジャンル面での唯一の共通点が”ジャニーズアイドル”であることが逆に面白いほど、それぞれの挑戦が積み重なった確固たる軸を、グループ以外にもひとりの人間として築き上げているふたり、そして磨き続けるふたり。

心底かっこいいと思うし、そこがまず、共通して大好きなところだと思う。

 

 

 

2. 不屈の努力家

 

異端なチャレンジャーである、という話と切っても切り離せない、翔きょもの共通点は呼吸するように努力を重ねる、真摯で不屈の推進力だと思う。

 

目的のためなら絶対に厭わない努力。新しく切り拓いた道を極める力。

これがあるから、新しいことに挑戦して、挑戦し続けるふたりの姿をこれだけ長く見せてもらえているのだとも思う。

新しいことに挑む時点でもまずすごいけど、翔くんも大我さんも自分の全てを尽くしてその道をとことん極めるからすごい。

 

私はいつからかオリンピック期間のことを”とんでもない人を好きになったと再確認する期間”だと思っているのだけど、これは翔担あるあるなんじゃないかと思いたい。

特に東京オリンピック中の隔日の生放送出演とパラリンピック閉会式の実況参加は、翔くんの歴史にも残るくらいすごい時間だったと思う。

周囲の期待をはるかに超える取材量と知識量、瞬発的な語彙の豊かさ、客観的で俯瞰的な視点と思わず溢れ出てしまう熱量のバランス。どれもが15年近くオリンピック取材に携わっている集大成のようで、心から感動したのと同時に、本当にとんでもない人を好きになったんだなと、誇りと畏怖がぐるぐる混ぜ合わされたような感情になった。

 

そもそも嵐としてデビューしていながら大学をきちんと卒業した時点で見える素質ではあるけれど、オリンピックに限らず、15年以上報道に携わって、毎週の生放送を続けている翔くんの背景に努力がないわけがなく。

結婚の報告でですら、「自分のやるべきことに真摯に向き合い、精一杯取り組んで参ります」と締めくくったほど、責任感の強い努力の人。

この自分で選んだ道に対して一切の妥協なく努力できる学びの姿勢、しかもそれを長期間継続してできる姿勢は本当に特別だと思う。

 

大我さんの、家族に音痴だと笑われていた過去があるなんて信じ難い歌唱力を今は持っているところ、ダンスの練習を絨毯に毛玉ができるほどしていたとお父様に記憶されているところ、一度不合格だったエリザベートのオーディションの課題曲を2度目のチャンスがあるとも思わず練習していて最終的には抜擢されるまでに磨き上げたところ、逃げ出したくなるほど苦しい地獄を味わっても「本物」を目指してミュージカルの世界に身を置き続けているところも、同じ。

「まだまだ勉強できることが幸せ」「継続することで知り得る世界があることを僕は知ってしまった」「どんな場面も精進と継続が無ければ生まれないからね」「わかんないこととかできないことも含めて楽しい」とも日頃から紡いでくれる大我さん。

そんな大我さんが大好きで憧れなことをわたしは日々つらつらとTwitterでしたためているわけだけど、この”努力”と”継続”と”進歩”を体現したような姿に無性に惹かれてしまう気持ちの根源には翔くんの存在がいて、翔くんと大我さんふたりに対して本当に底知れない尊敬の念を抱いている部分だと思う。

 

 

 

3. ”見ている”ひと

 

こうして何かの道を極める努力家、と聞くと想像しやすいのは”一点集中の職人”みたいな人物像だと思う。翔くんと大我さんの努力の仕方は正直そういうレベルの突き詰め方だ。

でも、そんな努力を重ねながらも視野がとんでもなく広く、視点がとんでもなく高いのがこのふたりのまた更にすごいところだと思っていて。

 

特にふたりが上甲薫さんとのインタビューで引き出してもらう要素だけど(超余談ですがこのブログを真剣に仕上げようと思えたのは、上甲さんきっかけと言っても過言ではなくて。2021年ニュージーズ期に大我さんが3誌連続上甲さん取材を受けたことをきっかけに、翔くんが日経エンタで5年連続上甲さんによる巻頭インタビューを受けていたことを知って、それを中古でかき集めたのが決定打。本当に上甲さんには頭が上がらないオタクです。同(G)担は全員上甲さんのインタビューを全て読めと本気で常々思っている)、ふたりは自分のことに関しても、そして特にグループのことに関して、”長期的に考えて今必要なことは何か”という逆算的な考え方が頻繁に働く人たちだと思う。

自分ひとりや今現在だけのためにプラスになること、の優先順位は低く、未来と自分の周りを常に高い視点から広い視野で把握した上で最適な行動をとることができる2人。

 

わかりやすい例で言えば、翔くんのライブで恒例の「上の方!」という煽り。あれなんてまさに、目の前のファンだけでなく天井席の一番遠いファンにまで視野を行き届かせる翔くんの最たる例。

初ドーム前に中居くんにもらったアドバイスを元に始めたことだというのは有名なエピソードだけど、その一番遠くの人にまで想いを飛ばす役割を自ら担い、担い続け、他のメンバーにも任せ続けられているのは翔くんの視野の広さがあるからこそ。

 

あとは2020年の嵐ツボで霊視をしてもらった時に「全人間を見ている」「マジで神だと思います」って言われていた翔くん。霊視の結果の図と並んで大爆笑してる翔くんが映った瞬間のテレビ画面を収めた写真をいまだに持っているくらい、私はあれが大好きで。

翔くんが「全人間を見ている」のは冗談抜きで真理だと、あの滑らかなmcぶりを観るたびに思うし、これまた去年のオリンピック関連の話題なのだけど、岸田奈美さんのnoteを読んだ時にもこの真理をひしひしと感じた。

 

大我さんの視野の広さやもはや”見えてしまっている”くらい”見る”ことに長けた人であるということは10000字ぶろぐの時に散々語っているのでここでは割愛するけれど、

aimingforsixtomatones.hatenablog.com

静かで穏やかに見えて、全てを把握した結果としてその場に最適な(時には突飛な)行動や言葉を放てるのが大我さんだと思う。スト5の手綱を唯一握れるmcこと田中樹に「頭が良い」と褒められ「話すのが楽」と信頼を寄せられるのも、状況を全て俯瞰していつでも答えられる準備をした上で、その場に穏やかに立つから。

 

そして翔くんと大我さんの周りの人を”見る”力はご縁の繋ぎ方にも顕著に表れていると思う。

 

翔くんで言えばそれこそ前述した岸田さんとの再会のエピソードや、数多のスポーツ選手に語られるエピソードからもご縁を繋ぐ力をビシバシ感じるし、とんでもない愛情を注ぐアニキ会(改めマシュマロ会)が数々の舎弟としてついていることもそう。

藤ヶ谷くんやまっすーについては詳しくなくてごめんなさいなのだけど、上田くんは「しんどい時に兄貴に支えてもらった」というのがあの翔くんへの激重愛情の根底にある想いだし、翔くんは不器用、もしくは風磨くんのように器用”すぎて”不器用な人の心を意図せず掬(救)ってしまうところがあると思っていて。それは視野の広さと視点の高さがなせる技だろうなと思う。

あの”なんでこんなに慕ってもらってるのかよくわからない”というこちら側としては理解し難い自分の魅力への無自覚さも、翔くん本人から見えている景色が遥か遠くのもの、もしくは遥か遠くから逆算して見たものと考えると納得がいったり。

 

大我さんも、ミュージカル界の数々の大御所に”京本大我とのエピソードマウント合戦”をされてしまうほどの寵愛を受け、

ジャニーズ内でも斗真くんには「1番に抱きしめたいSixTONES京本の大我ちゃん(ちなみにこの”斗真くんのダンス動画に1番に反応をくれた抱きしめたい相手”として名前が上がったもう1人が翔くんだったことを、わたしは翔きょも担として一生誇りに思って斗真くんに感謝していく)(重)」「京本大我超可愛い」「(めろめろに溶けた顔のツーショに)歌舞伎デート(のキャプション)」と数々の名言を残させ、最近ではSixTONES内だとたろぴとジェシーとの方が圧倒的に共演している太一くんに「イチオシの若手ジャニーズ」として「受け答えが尋常じゃない素晴らしさ」と評されたり、

先輩からの愛され具合が本当にピカイチ。

しかもその寵愛を受けるのにはもちろん理由があって。わかりやすい例は三田佳子さんとの毎年のやりとり。

2022年11月号のDuetで大我さんもお手紙をやりとりしているエピソードを話していたけど、毎年ブログ(2020年)(2021年)(2022年)に”大我くんからのお祝い”の報告を載せていただいているように、大我さんは頂いたご縁をとことん丁寧に繋ぎ続ける人。

メンバーの誕生日も0:00を狙ってメッセージを送って「一番大好きだよ」なんてお返事をもらっちゃう人(京ジェ狂い自爆タイム)

そして大我さんは同世代の”LAの友”たちを中心とした”京本会”を筆頭に、歌を磨きたい大昇や拓実くん、2022年は流星の音色で共演した龍くんのような後輩勢からもたくさん慕われて、親身に”先輩”の役割もたくさん果たしている人。

 

特に大我さんは京様からの教えも大きく影響していそうだけど、こんな風に一度繋がったご縁を時間が経っても忘れることなく丁寧に繋ぎ続けられるのも、翔くんと大我さんは周りを本当に本当によく見ていて、見えているから、だと思う。

 

あらゆる場所での言葉の選び方だってそう。

大我さんの紡ぐ言葉自体とそれを紡ぐ場所(取材なのか、ぶろぐなのか、インスタなのか)や表現法(文字なのか、音声なのか、動画なのか)の取捨選択まで含めた表現力に絶大な信頼を置いていることをわたしは日々愛ダダ漏れでツイートしているし、これは翔くんにも特に生放送のたびに同等に感じることで。

言葉の重みや力をしっかり理解して、いつでも大正解の方法で大正解の場所に大正解のタイミングでそれを積み重ねていけるのは、翔くんにも大我さんにも、きっと目の前だけでなく、その遥か先も見えているから。

 

 

 

4. 剛柔自在の”アイドル”

 

冒頭で滲み出てしまうノーブルさの話をしたけど、そんな気品漂う姿とは裏腹に、めちゃくちゃ”漢”なところも、翔くんと大我さんに通じるところだと思う。

国民的な爽やかさを象徴した5人の中でも一際”爽やか”と”誠実”を体現する人だし、イカつい6人の中でのしなやかな麗しさが目立つので”姫”と形容されてしまうこともある人(ちなみにこの先を読んだらわかってもらえると思うけど、わたしは大我さんへの”姫”呼びがジェシーから発せられる以外(またしても自爆)許せないオタクです)(直球でごめんね)

 

でも、そんな爽やかで誠実なところとしなやかで麗しいところももちろん備えているふたりこそが、実はメンバーの中で誰よりも肝が据わった強かさを備えた人たちだと思う。

 

翔くんはある種共に生まれ育った気品に争うかのように、きちんと自らの意思で”不良”を経験した”キラリと光るのがへそピアス”の人だし、気を許した相手の前では意外と粗雑な言葉を放って豪快に際限なく笑う人だし、ヒップホップとラップという表現方法を自らの武器として選んだ時点で明らかなメラメラした反骨精神を本当に常に持ち続けている人。

お茶の間にはなかなか届いていない(そしてファンとしてはそれでいいと思っている)けど、ラップ詞の SHO SAKURAI ほど聡明にギラついた人をわたしは他に知らないし、あの爽やかで優しい表情の奥にはギラッギラの誰も敵わない、それこそ”片手でspinning the world” な人格がいるからこそ、より底なしの信頼を感じて、沼に落ちた私たちは日々くるくると軽やかに回されているのだと思う。

 

一方の大我さんも、抗いきれない自らの麗しさをしっかり自覚してくれつつ、そうして美しいことばかりを目にとめられることに反発する意味も(それこそバカレア麻耶くんじゃないけど)恐らくあって、割と古風な”男らしさ”も自分の根幹に定めている人。

イカつく見えて心配性な繊細さんたちの集まりであるSixTONESの中で、ネガティブではありつつ、誰よりも闇をまっすぐ見つめ返せる強さを持った、一際有事に強い人だと思うし、

恋愛観においても、甘える側でありたい意志も「前世は多分猫」と言いながら強めに主張してるけど笑、「最初に(自ら)身につけるアクセサリーは結婚指輪」とか、「好きな人は常に守ってあげたいと思うし、好きな人のためなら自分を犠牲にする覚悟が大事だと思う」とか、即興胸キュン台詞企画で「男だから俺の胸にとびこんできてほしいし、俺を頼ってほしい」ってスラスラと言ったりするような人。

趣味がめちゃくちゃわかりやすく少年のままだったり、永遠に”闇属性”に憧れているところも、大我さんが兼ね備えた麗しい瞬間との見事な対比だと思う。

 

そしてこの男らしさを備えたが故に”アイドル”に振り切ってくれる、というのも翔くんと大我さんの共通点だと思っていて。

 

”ここは絶対に撃ち抜く”と照準を定めた時のステージ上での破壊力がとんでもないふたりであり、”自分のファン”に対しての独占欲をきちんと表明する強さのあるふたりだと思う。

これはもちろん担当の贔屓目だと言われてもしょうがないポイントだと思う。めちゃくちゃ撃ち抜かれてるから担当になってるわけだし。でも、それでも、言いたい。

 

ステージ上の撃ち抜く翔きょもについては全ての曲のラップを奏でる翔くんと、”心を解いてcome to me”する大我さんを観てほしいとだけ言っておこう。言語化はできない。観ればわかる(おい)

 

一方で自分のファンに対しての独占欲はそれぞれのブログという閉じた媒体で一際強く見せられるものだからもう少し説明がしやすい。

翔くんはオトノハを「必ず見てくれているあなた」にこれでもかと照準を合わせて、こちら側が恐れ多くなってしまうほどそれを繰り返し思い出させながら、毎月ブログを書いてくれる人。

Jwebが一般広報に突然力を入れ始めた今年作られたブログ紹介メッセージでも、わざわざ「私のことをあまり知らない方がご覧になると、イマイチ理解できない内容もあるかと思っています。広く多くの方に目を通していただくことを目的としていないものですのでお恥ずかしい限りですが、覗き見するような感覚で足を運んでいただけたら幸いです」と書くような人。

こんな芯の通ったかっこよさを言葉で貫ける人はどれだけ稀有なんだろうと惚れ惚れしてしまうし、こんな丁寧に紡がれる独占欲に撃ち抜かれないわけがないでしょう。(二重否定=強い肯定)

 

でも私としてはもう1人、このかっこよさと堪らなくなる独占欲を見せてくれる最高の人がいると思っていて。それがもちろん大我さん。

「己の心を大事に今を生き続けるので一緒に幸せになりましょう」を筆頭に、「一緒に」という言葉を本当に日常的に届けてくれて、改まった場でもファンに対して「いつまでも最高のライバルでいてください」と紡ぎ、舞台の公演中止の際には速攻で音楽で寄り添ってくれたり「僕の味方でいてくださっているファンの皆さんのところにまずは」と音声ブログを更新してくれる人。

SixTONESのファンはもちろん、京本大我のファン、にぴたりとフォーカスを当てて、解像度が高い状態で言葉を紡いでくれる人だというのをふとした瞬間に感じさせられて、胸がいっぱいになるのがとてつもなく幸せだなと思う。

 

こうして強靭な芯があるからこそ(そして視野が広いからこそとここでも言えると思う)、アイドルとして放つ光もとんでもなく強い、自在に剛柔を操るとびっきりのアイドルな翔くんと大我さんが大好き。

 

 

 

5. 完璧に宿る《ぽんこつ vs 突飛》

 

ここまで書いてきたのは翔くんと大我さんに対してどうしようもなく尊敬が募る部分。こんな完璧で素晴らしい人なことある???って言いたくなる部分。正直、これだけだったら”完璧すぎて怖い”という感情を抱いてもおかしくないと思う。

 

でもそんなことには決してならないのが翔きょものまたすごいところ。

 

ふたりとも完璧人間に見えて、翔くんはとんでもなくぽんこつな面を持つ人であり、大我さんはとんでもなく突飛な面を持つ人だ。

 

翔くんで言うと伝説の「ダブルパーカー」を生み出し、未だに「迷彩」を自身の代名詞とされてしまうようなファッションセンス。「エルサ櫻井」を筆頭に、”持ってる”ことが期待されるジャニーズにおいて異例の確率で”持っていない”最高の面白さを発揮してしまうところ。粉の入ったボウルをザルの上で並行に振って篩にかけようとすることに代表される壊滅的な料理の腕。直近で言えば、生配信でASMRクイズに嬉々として取り組むものの、口頭でわかりやすすぎるヒントを連発し、その後 続出する正解者たちはなぜか”音だけで判断できた”と勘違いして恐怖を感じていた姿。

大我さんで言うと京本大我オールナイトニッポンにおける暴走ぶり。沸騰ワードの御朱印企画で冴え渡る可憐でありながら斜め上すぎる発言の数々。漫画の出来事じゃないよね?って勢いの運動音痴ぶりを誇りを持ってきょものすけとして見せてくれるところ。信頼を寄せてくれるきょも美に残される数多のファンタジックな設定や名言(ちなむとわたしは石子ちゃんへのラブレターと織姫へのドタキャンが一生好き)YouTube撮影中に突如虫取り網やバブルボールに一切臆することなく頭から突っ込んでいってしまうような奇行に踏み切る勇気。

 

さっきまであんな完璧だったのにこんな愛しいことある???って思いも寄らない豪速変化球を投げてくる翔きょもが愛しくて仕方ない。

 

そして何より好きなのが、このぽんこつで突飛な姿も魅せるひとになってくれたのは翔くんと大我さんがソロではなく、4人と5人と一緒にいてくれる人だからなところ。

 

特に翔くんは最近ソロがメインなので気を許した翔ちゃんねるの空間ではぽんこつが炸裂しがちだし、大我さんもバラエティーで突飛が爆発する瞬間もあるとはいえ、基本的にソロのお仕事の時は最初語った”ノーブルな異端者”、特にノーブルで真摯な部分が表面上の割合を多く占めるふたりだと思う。

でも心を許しきった4人や5人がいる隣では”この人たちが美味しく調理してくれるだろうから行っちゃえ!”と聞こえてくるようなぽんこつ/突飛な姿を本当にのびのびと見せてくれる。

その4人と5人への絶大な信頼と安心感を本当に愛しく思うし、完璧な人が完璧じゃなくていいと思える4人と5人なんだ、とグループ全体の空気にまで愛しさを感じてしまう。

 

そんな魔法(魔性)のぽんこつ力/突飛力を兼ね備えたふたり。

 

 

 

6.ってことを踏まえて”自担”ってなんだろう?

 

ここまで私が人生で唯一自担と呼ぶふたりの大好きなところを羅列してきたならいっそのこと向き合ってみたいのが”自担ってなんだろう”っていう、特に掛け持ちオタクには究極の命題。

※上記とは比べものにならないくらいめちゃくちゃ個人的な話にはなってしまうので飛ばしてもらっても全然良い…

 

これを考えるためにはそれぞれとの出会い、”自担”を自覚した瞬間も改めてまとめて記録しておかないといけないと思う。SixTONESと沼落ちぶろぐと被るのでここでは簡潔めに。

aimingforsixtomatones.hatenablog.com

 

時系列でいこう。

櫻井翔という人をはっきりと認識したのはたぶん8歳。

それまでは亀梨くんやニノや上田くんをかっこいいと思ったり、”好きなジャニーズ”の会話においてふらついていた私だったけど、翔くんをきちんと認識してからは本当に一切ブレなかった。

この人が好きだ、と思った決め手はたぶん、爽やかさと、優しさと、紳士的なところと、賢さ。あともちろん嵐の中で単純にお顔が一番好きでかっこいいと思ったこと(ジャニオタであるからには”””顔が良い”””から逃げてはいけない)

空前の嵐ブームだった時代、周りの友達にも翔担が多くて、しかも母娘で嵐担な友達が多いおかげでありとあらゆる音源やら円盤やらを貸してもらったり観せてもらったり。シンプルに小学生だと経済力にも行動力にも限界があるので当たり前ではあるんだけど(特にうちの母は反対こそしなかったけど誰かに対してファン心理を抱いたことのない人間で”一緒にハマる”ということが成立しなかったから)、私の嵐担最盛期はものすごく受動的だったなと、今、めちゃくちゃ能動的なスト担になって思う。

自分から動く、というよりは環境に身を任せ、その中で見つけるちょっとした好きにときめく感じのファン具合だった。

 

その後、邦ロックにハマって人生のめちゃくちゃしんどい時期を音楽に救われる経験も経て、嵐との距離はだいぶ空いていたけど、決して嫌いになんかはなっていなくて。冠番組はずっと観てたし、いつだって嵐と翔くんは”帰る場所”であってくれた。そしてそれは今もそう。変わらない”安心”をくれる究極の存在であるというのは、原点だけが持つ、ものすごく特別な要素だと思う。

だから、推しへの I love you の和訳を考える機会があったときに、私が翔くんへ訳した I love you は「安らぐ君とふいに出会った」だった。

そのときも書いたのが

翔くんはずっと私の原点で、翔くんのみならず嵐はいつだって帰る場所のような存在。もちろんかっこいい〜とときめくときもたくさんあるけど、今翔くんに抱く1番の感情は”安心感”でとにかく”安らぐ”。かっこいい姿も、ポンコツな姿も、信頼が募る姿も、かわいい姿も、全部全部見てて安心する。それはきっと翔くんがずーっと原点である証拠でもあって。でもそんな安らぐ人との出会いは本当にまだ子供の時で、そう考えると”ふい”だったなあと。毎日のようにI love you を伝えるというよりは改めて好きだなあと噛み締めることが多いので余計にこの歌詞がしっくりくる。

で、これはこれからもずっと変わらない認識だろうなと思う。

 

 

対して大我さんとの出会い。

これはSixTONES沼落ちぶろぐの方が圧倒的に面白く書けてるので(自分で言うな)大幅に要約するけど、まず最初に言えるのは翔くんと真逆の沼落ちの仕方をしたということ。

単純に翔くんへの沼落ちからは時間が経ってしまっているっていうのも要因かもしれないけど、私は”決定的な翔くんへの沼落ちの瞬間”を覚えていない。いろんな要素を知って、「ああこの人好きだな」が少しずつ積み重なっていって、たとえぽんこつなところや自分とは合わないだろうなって側面を知っても(例:ファッションセンスが絶望的なところ・分刻みで旅行に行くところ)「愛しいな」しか出てこなくて、もはやその”好き”という感情に安心感も覚えて、気づけば人生の半分以上好き、という感じ。どちらかといえば安らかな気持ちをくれる人で、パフォーマンスモードでバッチバチな時には息を呑むような感覚は味わえど、正直翔くんに対して激情に駆られた記憶はほとんどない。

一方大我さんには明確に心臓を握られた瞬間、いや、訂正しよう、””””””心を解いてcome to me””””””された瞬間があった。

もちろん一目惚れできるほど素直ではなかった私なので(この時には邦ロックオタクの人格が大いに抵抗をした)、あの決定的な瞬間まで1ヶ月半くらい、ある程度大我さんのことを調べたし見たし聴いたし既に好きにはなっていたけど、「あ、もう無理だ、敵わない」って巨大な”好き”の感情に飲まれて諦めた瞬間が明確にあった。

 

図にするとこんな感じ。

(プレゼン資料か)

 

翔くんには着実に確実に中身(=根拠)までよく把握した”好き”を積み重ねてきたのに対し、大我さんへはまず中身のわからない巨大な”好き”を感じさせられて、その後にその中身を答え合わせをされつつ、新たな根拠ある”好き”も重ねている感覚がある。

普通に考えたら自我や自意識がきちんと確立されていない年で好きになった人の方を感覚的に好きになって、その後の人の方をコツコツ好きになりそうなものを、逆を行ってるのは面白いなと、改めて振り返ってみて思った。

でもたぶん、翔くんに限らず、いろんな”自分はこれが好き”の感覚を積み重ねてきた後だからこそ、その瞬間には根拠が明確ではなかった大我さんにも心を動かされて、どうしようもなく好きになって、毎日好きな理由を紐解いてはまた新たな”好き”を積み重ねる日々を送っているのかなとも思う。

 

そしてこんな風に沼落ちの経緯も、自分の投資能力も、そもそものグループの立ち位置も違うから(大我さんのことをここまで掘り下げて好きでいられているのはデビュー数ヶ月前っていう絶妙なタイミングで好きになったからだと、結構本気で思っている。タイミングの巡り合わせ。嵐の時にはもう既に人気すぎて追いきれないしそもそも追う発想すらなかった雑誌やひとつひとつのテレビ出演をSixTONESに関しては我ながら本当に丁寧に追ってきていると思う)、自分の中の”像”に対する解像度に違いが出てしまっている自担2人ではあるけど、それでも、何故この2人が、愛してやまない5人と6人の中でも特別なのか。

 

それはきっと、翔くんと大我さんは私の”なりたいひと”だから。

 

”好き”という感情と共に”憧れ”という感情が何よりも原動力になる人間なんだと思う。常に進歩していたいし、常に成長していたいし、だから大我さんの「継続と精進」という言葉選びが本当に、心底、堪らなく、好きだったりする。

私にとって、”この人みたいになりたい”と思える要素がぎゅうぎゅうに詰まった人間2人が翔くんと大我さんなんだと思う。

明確に自担がいるとはいえ、箱推しでもあるので、他の4人や5人も別の角度でめちゃくちゃ尊敬しているし、だからこんなに長く幸せに大好きでいられている。でも、他のメンバーへの尊敬はどちらかと言うと、自分とは違うからこその尊敬というか、方向性が全く違うからこその尊敬で、”私にはできない”という降伏の、その場に立ち止まるような尊敬。

対して自担への尊敬は”絶対敵わないけど、それでもいつか辿り着きたい人物像”という前進を促す尊敬なんじゃないかなと思う。目の前の事実を超えて、その先へ、時には自分の想像力も追いつかないほど先へ、視野を広げて目線を上げてくれるのが、私の”自担”なんだと思う。

 

育ちの良さを活かしつつも決してそれに甘んじることがない挑戦者なところも、

一度定めた照準への努力には一切妥協しないところも、

異次元な視野の広さで周りをよく見て丁寧にご縁も言葉も紡ぐところも、

併せ持つ柔らかさと強かさを自在に操って周囲を骨抜きにしていくところも、

隙なんてない完璧人間に見えて実はとんでもなくぽんこつ/突飛な部分を持ち合わせて、それを特別信頼する人たちに愛されているところも、

 

そしてもちろん、全く共通していない、翔くんらしく、大我さんらしい、たくさんの魅力も、

 

全部全部私にとってはどうしようもなく心を惹かれてしまう要素で、なれないってわかってても懲りずになりたいって執着してしまうほどの、一生変わることがない確証まで持ててしまえるような、憧れ。

 

そんな人を2人も見つけられてる人生幸せすぎでは?って割と本気で毎日思っているし、こうやって気持ちを豊かにしてくれる推しがいる生活を1日でも長く続けられたら幸せだなと思う。

 

 

というわけで、延々と先延ばしにしてきた私の翔きょも論はこれにて完結。

この先何があっても絶対に揺るがない”好き”と”憧れ”を教えてくれたふたりに望むのはただ健やかで笑顔でいてくれることだけ。そこにとどまる翔くんと大我さんじゃないのを知った上で好きだからこんなことを言うのはずるいかもしれないけど。

最愛の原点と頂点へ、とびっきりの感謝と愛を込めて。

 

 

 



 

 

 

2022.10.22 aim