Chasing Diamonds

長文考察愛だだ漏れ系aimのぶろぐ。140字じゃ足りない愛は原石を追いかけて。

京本大我さん10000字インタビューを読んだ。

 

ごきげんよう、aimです。

今回はただひたすらに、京本大我さんの10000字インタビューを読んで溢れ落ちていく感情をどうにか受け止めたい記録。あくまでも私の受け取った感情と勝手な推察。

きっと正解ではないけど、正解なんてないのかもしれないし、とにかく今抱えてるこの想いが愛しいからとっておきたいなという衝動です。

受け取ったものに見合った言葉の精度や純度を追求したいとは思ったけど、如何せん感情爆発しがちな人間なのでうまく纏まってないところもあるかも。

あとネタバレ祭りなので読んでくださる方はそこもご了承ください。

いざ、10000字に対抗する11000字の旅へ。

 

 

 

 

 

覚悟をしていたつもりだった。

京ジェ担の私が、ここまでのほっくん、樹、慎ちゃん、こちの4人の10000字で毎回びっくりするほど泣いてきた。

いくら感受性と感情のキャパが釣り合っていない上にSixTONESに涙腺が対応していない私とはいえ(自覚は一応ある)、10000字インタビューの威力はここまでの4回で思い知ったつもりでいた。

 

思いもよらぬ爆弾。

想像に難くなくても改めて言語化されると質量がのしかかる記憶。

希望や願いを孕んだ推測が掬い上げられて証明されたり叶えられたりする瞬間。

深く確かな絆と愛。

 

毎回、10000字という枠の中に、これよりさらにたくさんの要素が詰まっている。

だからついにきてしまった大我さんの10000字を予告の時からずっと警戒していた。

読んでもいないのに”1万字”という言葉が入ったツイートが最近やたら多く、その度に落ち着き失っていた。

 

でも大我さんはいつだって予想や想像を軽々と越える。

 

あんなにいろんな感情が混ざって混乱しながら泣いたのは初めてだった。

それなのに最後に残るのが澄んだ温もりなのもどこまでも新鮮だった。

そんな10000字インタビュー。

 

 

 

順番にたどっていこう。

 

冒頭でデビューを告げられた時に喜びと同時に不安に襲われた、と語られる内容はRIDE ON TIMEで聞いていた 「自分たちの知らない自分たちになっていくのが怖い(だから)俺は(デビュー)したくない」 と言う大我さんが蘇る言葉だった。

その不安が現実にならなかった今だからこそ言えるのかもしれないけど、そこまで不安になるほど、デビューしていない状態のSixTONESはすでに大我さんのなかで変えたくない確固たるものになっていたんだと実感できて、その時点で大我さんの中のSixTONESの大きさに涙が溢れた。

 

でも大我さんにとってSixTONESという集合体の、そして5人のメンバーの大きさを、その後も何度も何度も絶対に忘れないように刻まれるような感覚になるインタビューだった。

 

 

最初に10000字には”想像に難くなくても改めて言語化されると質量がのしかかる記憶”が詰まっている、と書いたけど、これはここまでの4回に渡って、決して順風満帆ではなくそれぞれに心に傷を負ったSixTONESの軌跡をたどりながら毎回強く感じていたことで。それはもちろん大我さんの回にもあった。

「最初がっつりイジメられたんで」と始まり飄々とした言葉が並んだ9行。

境遇にしろ容姿にしろ、誰もが羨まないわけがないものを生まれ持ってきた大我さんが何も経験してないなんて思ってなかったけど、改めて言葉にされて感情が揺れないわけがない。しかも今それを知る私に何かできるわけもないのも当たり前。

でもやるせない気持ちとともに、聞けてよかったと思う気持ちも無視できなかった。

それを乗り越える強さのある人でいて、それを淡々と表現してしまうまで他の記憶を積み重ねてくれて、話せる日を迎えてくれてありがとうと思えるから。毎日毎日いてくれることに感謝する理由がまたひとつ増えたから。

 

 

京様がこれを想定してジャニーズに入る大我さんにかけた言葉にも象徴されるけど、10000字の特徴として、この宇宙一素敵な人たちを愛情たっぷりに育ててくれた素敵なご家族たちに感謝が止まらなくなるという事実も見逃せない。

特に家族のエピソードが多かったほっくんの10000字に始まり、いつでもSixTONESの選択の後ろには愛に溢れた家族の姿がある。

京様はご本人からも大我さんの見守り方を口にしてくれるから余計に知ってるエピソードが多かったりリアルな空気感が伝わってくるけど、やっぱり10000字という場でもその存在は大きく、大切で、愛に溢れていた。

少し脱線するけど、SixTONESに全幅の信頼を置いて安心して好きでいられる大きな理由のひとつが”愛されて育っていること”だと感じる機会が最近とても多い。

これは樹の10000字にも通じるけど、愛情をかけてもらったことを知っている人が配れる愛はどんな愛よりも威力が強いと思っているのでSixTONESからそれを感じられることが大好き。そして自分もそういう愛を繋いで行ける人になりたいなと、自分の表現するものにはその想いを込めたいなと強く思う。

 

 

話を戻す。

 

3月13日のきょもじゅりANNのように流れるようにボケ倒して樹をいじる突飛な賢さを見せることもあるけど、基本的に大我さんはSixTONES”見ている”人だと思う。ぽやっとした自由奔放なお坊ちゃんに見えて、実は誰よりもSixTONESを”見ている”。

 

SixTONESは6者6様にスト5に対して感覚を敏感にしてる部分があると思うけど、

大我さんは誰よりも5人を”見ている”し、

ジェシーは誰よりも5人を”感じている”し、

慎ちゃんは誰よりも5人を”察している”し、

こちは誰よりも5人を”捉えている”し、(今年のバースデー動画とか怖いくらいこれがすごい)

樹は誰よりも5人を”読み取っている”し、

ほっくんは良い意味で5人から感覚は少し逸らしているように思う。直接感覚を向けるというより"5人が表現して放つ空気を吸い込んでいる"ような印象。

 

この大我さんが”見ている”ところは、ほとんどのANNの放送を聴いていること、メンバーのブログを毎日読んでいること、今回はこちの10000字への言及しかなかったけどたぶん他3人のも読んでるしこの後のジェシーのも読むこと、1人のお仕事の時もメンバーのことを思い出してその姿を参考に「ひとりSixTONESをやりながら」”SixTONES 京本大我”として1人で立つこと…いろんなことが象徴してると思う。

私はこの大我さんしか知らなくて、いつからこんなに素敵な人なのかの確証が持てるほど長い間応援できていないけど、今の大我さんがあるのはグループでのデビューを期待した瞬間に告げられた 協調性がまずない」 というあまりにも酷な言葉の影響もきっとあるんだと思う。

確かに、育ってきた環境もあって個として磨いて発揮する力がとてもとても大きい人だと思う。ソロでもやっていける人だと思う。素質だけ見ればそれを望む人がいることを理解することも難しくないし、本人がジャニーさんに大きく抵抗することなくその道を受け入れて目指そうとしていたこともわかる。SixTONESとして初めて、でも同時にラストチャンスに感じるグループに入ってもなお、ひとりでいることを想定していたり、ひとりの方が周りにとっても良いのではないかと思っていたことも納得はいく。

 

でも。大我さんは本当に、本当に周りをよく見ているし、”見えてしまう”ときもあるんだろうなと、そしてその見えるものを静かに受け止める器が本当に大きいのだと、私は思う。それは大我さんが”協調性”を意識して辿り着いた”見ること”なのかもしれないし、グループになって初めて相手が生まれたからくっきり浮かび上がってきた元々持っている”見る”という能力なのかもしれない。わからないけど、周りを”見ている”ことは間違いない。

 

周りを見れるからこそ、それに対して自分は何を磨くべきか理解して行動できて1人で立てるんだろうし、周りが見えるからこそ、5人の方が良いのではないかという発想もあったんだと思う。だってメンバーの「できていないところ」が見えるのも一緒に進んでいくためにすごくすごく”見ていた”から。

人が集まった時にわかりやすく求められる”協調性”というのは”見ている”ことよりもその場の人や状況やタイミングに合わせて動くスキルだから、必ずしも発揮するのが簡単なものじゃない。でも”協調性”よりも”見ている”ことの方がSixTONESでは確実に重要視されていると思う。正直誰も”協調性”には興味がないのがSixTONESな気がする。自分なりの方法で”相手を想うこと”ができれば協調性なんてわざわざ気にするスキルではないというか。そういう場所に大我さんは辿り着くことができて、求められて、輝いて、今を作ってくれてるんじゃないかと思う。それがすごく嬉しくて安心する。

 

 

そしてその誰よりも”見ていた“ことは今回のSixTONES結成の話でもすごく表れていた。

何度も何度も6人が教えてくれてる話。まだファンになって1年半ちょっとの私でも何も見ずに他の人に説明できるくらい聞いたり読んだりしてきたはずのSixTONES結成の新事実をこのタイミングで知ることがあるなんて思わなかった。

そりゃあ状況を完全に知り得ることなんてこれから先もないし、いつだって私たちが見せてもらってるのは氷山の一角だという自覚があるけど、それでもここまでそのエピソードへの印象がガラリと変わる事実が、今、出てくるなんて、思ってなかった。

SixTONESは名前をもらった時から、「この6人でいつまでも一緒にいるつもりがあるのか」問われていた。

他のメンバーがあえて詳細は省いてポジティブでライトな印象のエピソードにしてきたのか、そもそも圧倒的なポジティブな状況として捉えていたのか、その両方なのか、答えはわからないしわからなくていいけど、大我さんの語るSixTONES結成の裏側は決して嬉しいだけの思い出ではなかった。デビューを告げられた時と同じ、喜びと不安が同時に、もしかしたら不安の方が押し寄せる記憶だった。

それはきっと 「この世の仕組みは怖い」と何度も突きつけられてきた大我さんのネガティブが根強いから。

 

誤解を恐れずに言いたいのだけど、大我さんはやはり根っこがネガティブな人だと思う。しかもとても。それを「妙に現実主義」と呼ぶことも、現実を残酷である前提で見ている証拠な気がして余計ネガティブだと思う。

でもそう思って当然だという過去が今回いくつか打ち明けられた。ジャニーさんは愛情深い人だったと信じてるけど、それでもジャニーさんじゃなかったら許されていないであろう残酷で時には理不尽なエピソードがたくさんある。

今回の大我さんの描写は、そんなジャニーさんに SIX TONES をもらうまで、そして SixTONES として発表するまでの厳しい”現実”を見せられた過程も丁寧に記憶された結成の道のりだったと思う。

胸は締め付けられたけど、この状況の光だけを受け取るわけじゃない大我さんにすごく”らしさ”を感じて、愛しくてしょうがなかった。そして何より、今現在大我さんの観点が一番ネガティブではあるけど、だからと言ってSixTONESの中で大我さんが極端にネガティブなわけではないと思えることが、不謹慎かもしれないけど、すごく嬉しかった。

SixTONESは自分たちでも言うように、基本的にとても優しくもろく気にしいで繊細で心配性な大男たちだ。どんなに堂々とかっこよく圧倒的な自分たちの世界観を魅せることに長けていても、心の中では不安げにきゅっと寄り添っていることも多い愛しい人たち。単にその中で大我さんは 闇に向き合い、闇を見せる動きを意識している割合が高い人だということなんだと思う(愛しい厨二なところも含めて)

 

 

そしてそれは”自分の弱い部分を見せることで救われる人がいるのではないか”、という大我さんが大事にしてくれている対等な愛情関係にも表れている。だってファンのことを「最高のライバル」って言ってくれるアイドル、少なくとも私は聞いたことない。

樹を筆頭にSixTONESはファンが同じteamであると掲げながら、対等であることをすごく意識してくれる人たちだと思うけど、大我さんは対等であるのと同時に、樹の言う純粋な協力体制とは違う方向、”切磋琢磨して闘うこと””支え合う方法”として選ぶ。

アイドルでいることは誰かの光でいること」と言葉にしながら、遠く手の届かないような”光”としての姿を見せてくれるものの、それよりはるかに頻繁に自分の弱さや”闇”の部分をさらけ出してくれるのが大我さんの”光”が増す要因だと思う。そしてそれを見せた上で成り立つ関係性に「最高のライバル」と名前をつけてくれることで、お互いを高め合うからこそいつまでも一緒にいられるような感覚になってしまうからずるい。自分の弱さを受け取ってそれを糧にしてもらえたらまた自分も逃げないでいられる、なんて一度ハマったら抜け出せるわけがないループだ。間に一定の距離はあるけど、常にお互いを見てるし感じ合ってるし補い合う関係だ。そんな繋がりを大我さんは私たちにくれる。

正直”ライバル”というのは決して近い距離感ではないと思うし、わかりやすく絆が見える関係ではないと思う。でも大我さんが保って繋いでくれるこの距離感が私はとても信頼できるし、リスペクトのこもった愛だと受け取ってしまう。考えすぎかもしれない。でもそれがどうしようもなく好きだ。時々嬉々としてベタなアイドルっぽいセリフやあざとさも放ってくれる人だし。ライバルでいたいのと同時に、いつまでも敵わないと満面の笑みで嘆きながら転がされていたい。

 

 

結成の話に少し戻るけど、こういう新事実、もしくは今まで明かしてこなかった捉え方をこのタイミングで言葉にしようと思ってくれたのはなぜだろうというのも思う。

この先語ることはないと思ったからだろうか。それとも今なら伝わると思ったからだろうか。感覚的なものだろうか。わからないけど、”話してもいい”と思ってくれる日が来たことが嬉しくて安心してそれで私は満たされてしまう。だって大我さんの”表現”に絶大な信頼を抱いているから。

堪えきれずに読後すぐツイートしたけど、歌にしろインタビューにしろ文章にしろ、大我さんの”表現する力”は本当に特別だと思う。

大我さんは自分のことを口下手だと言う。でも私はそれを一瞬たりとも信じたことがない。大我さんの言葉は、発される場所、タイミング、内容、どれも精度がものすごく高い。それは勘が優れているのに加えて、根っこがネガティブな人が 考えて考えて、時には余計な心配もした上で、紡いでくれる言葉だからだと思う。その考えるプロセスの長さを自覚しているから”口下手”という表現になるのかもしれないけど、それがなければあの深みや巧みな仕掛けは生まれないと思うから私はそれがまるっと愛しい。

そしてその人が今このタイミングで、闇の割合も多めなのにもかかわらず、最後には晴れやかな温もりの残る話をしてくれた事実をずっと抱きしめていたい。

 

  

”大我さんにとってSixTONESの、そして5人のメンバーの大きさを、何度も何度も絶対に忘れないように刻まれるような感覚になるインタビュー”だったと最初に書いたけど、それを一番象徴してるのはやっぱり「本当の1番の財産はメンバー5人と出会えたことかもしれないですね」と言うところ。

夢や目標を訊かれた時に大我さんは 「自分の世界観を守り続ける」、「自分らしい音楽をいつまでも歌っていたい」とこれまで言ってきたし、本人も自覚してるけど、このインタビューの最初も、どれだけ自分にとって音楽が大きな存在になったかという観点から始まった。

その確固たる意識が、5人と歩んできた道のりを辿る中で温かく和らいで広がったような言葉だった。

 

最近この話をよくしてしまうんだけど、私はまだ、ミュージカル俳優の大我さんを知らない。

私が好きになって、好きで好きで仕方ないのは”SixTONES京本大我さん”。それはもちろんミュージカル俳優の大我さんも含んだ大我さんだけど、大我さんの明らかな軸のひとつを知らない不安にどうしても駆られてしまう瞬間がある。そしてミュージカル俳優の大我さんを知っている人であればあるほど、SixTONES京本大我さんに対して私とは逆の気持ちを抱いている人が少なからずいることも知っている。 だから時々そういう方向から聞こえる”1人の大我さん”が存在し得る可能性が怖かったんだと思う。ここまでSixTONESとして活動していてもなお、未だに1人でふっといなくなってしまいそうな大我さんを想像する人がいることが怖かった。

ananソロでSixTONESを守るのは絶対条件で当たり前すぎる」と言ってくれていても、同時に 「みんなが望んでるのって6人でずっといる絵だと思うんです」と言っていたことの方に、どこまでが大我さんの心からの意思なのか不安を感じてしまうようなネガティブさを私は持っていた。

でも今回、決して楽しく明るい思い出ばかりではない自分のJr.時代と5人と共に進んだ記憶を辿る中で 「いつの間にか自分より大切だと思える仲間ができてた」と大我さんは言葉にしてくれた。辞めようと思った時もその仲間が自分の支えであり救いだったと、いろんな角度から表現してくれた。

これ以上の保証なんて考えられないくらい、リアルで真摯で心に深く刻まれる想いだった。

どんな風に誰を好きでいるかってことほど他の誰にも左右されるべきじゃないことはないってわかってたはずなのに、ここに来るまで信じきれなかったことに申し訳なさでいっぱいだけど、こうやって改めてSixTONES京本大我さんが、本当に心底好きだと、この先も胸を張って信じてずっと言えることがとてもとても幸せ。

 

 

そうしてSixTONESにいてくれる大我さんのメンバーへのメッセージは、やっぱりどこか謙虚でネガティブなところが見え隠れしていた。大好きで大切だからこそ細かいところまで気にしちゃうところが滲み出ていたように思う。とても好きだ。

 

樹を「とにかく察する能力が高い人」と表現するところは、よく”見ている”大我さんを象徴するところのひとつだと思う。だって樹が自分の10000字で一番最初に自分を形容した言葉が「人の反応を想像するのが昔からめっちゃ得意」だから。

”辛い時に一番感じ取って受け止めてくれた”と大我さんは樹のことを見ていて、樹は 素でいられる人はあんまりいなかったのにきょもと一緒にいるとすごい楽だった。言ってることを理解はできないけど導き出す結論には納得できる人」と大我さんを見ている。お互いへのリスペクトと信頼が止まらないしお互いを”受け止めてくれる人”として見ているきょもじゅりが大好きで仕方ない。

2人になると一瞬で高校の教室が見える、そんな関係がいつまでも続きますように。

 

大我さんのことを「子供みたいで愛おしい」とも言うのに、メッセージとしてまず口をついて出るのが「兄貴でいてね」な慎ちゃんに、やっぱり大我さんはちゃんとお兄ちゃんだった。察しまくって周りを優先させがちな末っ子に「まだまだこんなもんじゃないよな」って期待してくれるのは紛れもないお兄ちゃんだ。ここまでのゆごほくじゅりの慎ちゃんへのメッセージも、もっとのびのびと、無理も遠慮もしないでいいんだぞってものだったけど、そこに”期待”を重ねるのが慎ちゃんの一番最初のお兄ちゃんである大我さん。

お互いを見守りあいながら、これからもことあるごとに顔を見合わせて笑っていてねきょもしん。

 

こちさん10000字から爆弾続きのきょもゆご。

1人の時間が長いこともあって、大我さんは自分の中にしか答えがない人だと思う。人の良いところから影響や刺激を受けることはもちろんあるだろうけど、”決断”に関しては限りなく他人に委ねるところを減らしたい人だと思う。その結果京様は頭を抱えたわけだし。

でもその大我さんのそばに”いる”力がずば抜けたこちさんは、大我さんの決断を左右した稀有な人だ。大我さんの絶対他の人には委ねないであろう大きな決断につながる気持ちを、目の前に”いる”ことでこちさんは引き出してしまった。そして引き出してもなお、そこにい続けて受け止める以上のことをしなかった。それがこちさんの本当に本当にすごいところで、大我さんがこちさんを全力で頼れる何よりの証明だと思う。

思えば、こちさんの「今、大我がSixTONESにいてくれることが全てだと思うから」という言葉からすでに私なんかの小さな不安は消える運命にあったと思う。どこまでも偉大な人。

そして全力で頼っていることを「甘えすぎちゃってるからいつか頼ってもらえる存在になりたい」と大我さんは言う。ことあるごとにこちさんを”一緒にいて落ち着く”とか”波長が合う”とか去年のお誕生日に至っては「ニコイチ」と言ってみたり、そういうのが全部こちさんに”頼ってほしい”という願いも込められたものだと思うと愛しくて仕方ない。

そうしてこちさんを引き寄せながら、大我さんは頼ってるのは自分ばかりだと思っているかもしれないけど、私は僕僕を歌うときに大我さんとハモる時だけ異様にのびのびするこちを知っている。

”愛に咲いた花の” 名前は ”Liar" 遠いあの場所で ”揺れてる”

生放送だと特に、大我さんがいるパートの声の伸びが違うと、大我さんと歌ってるのが一番楽しそうだねこちさんと、いつも思っている。

今度更新するスト担バイブルリストに必ず入れると私が心に誓っているテレガイAlpha vol.36 でも、大我さんが髙地はライブでも「大我これ大丈夫だったかな」とか聞いてくれるけど自分を過小評価してる。もっと自信持ってもいいのになってずっと思ってた」 と熱く語っているのに対して、こちさんの反応は「うれしい〜」としか書いてないけど笑、こちさん、これは相当嬉しかったと思う。現に「大我これ大丈夫だったかな」というセリフは大我さんを頼ってるわけだし。

大我さんの求めてるほどの頼られ方じゃないのかもしれないけど、大我さんはちゃんとこちさんを支えてると思う。頑張りすぎなくても、年長組の年下でいていいと思うよ大我さん。どこまでも自然体で、根底には必ず思いやりのあるきょもゆごが、お互いを一番支えるのだと思う。

 

きょもほくに関しては、違う職業にならない限り素直に尊敬してると口にできないほっくんに対して、さらりと「今年、去年は特に北斗をいちばんリスペクトしてます」と言ってのけるのが大我さんであり、きょもほくがいつまでもお兄ちゃんと弟の上下関係を根底にしたビジネスパートナーなんだなと笑いながら腑に落ちた。いいから素直になってよほっくんという思いが拭えない圧倒的なきょも担で申し訳ないけど、きょもほくが翔潤の道に近いものをたどってくのではとワクワクしてしまう私もいるし、何より素直じゃないわんわんなほっくんを見ることも最近の大我さんはとても楽しそうなので、誰に何を言われても、2人の心地よい距離感でいてねと思う。

リスペクトがきっと一番強固な繋がりのふたり。

 

そして京ジェ。

なんでここまで京ジェに惹かれるのかは改めてジェシーの10000字も読んでから京ジェだけに捧げる文章として考えたいけど、今回の気持ちは今回でまとめておかないといけない気がするので書く。

基本的にずっと泣きながら読んでいたけど、3回ほどあったスーパー京ジェポイントでは本当に一度ページを閉じた。冗談抜きで、5分くらいずつただただ泣いて、自分の京ジェへの思い入れに自分でも若干引いてからしか戻れなかった。今も書いたり読み直したりするだけで泣いてる。

6人で会う前に大我さんを呼び出したゆごジェの話。

「欠かさず応援してるぞって声をかけてくれる」ジェシーの話。

”2人の間だけ”を共有する京ジェの話。

まず、私はジェシーがメンバーに「誇りだよ」とものすごく自然に言うところが大好きだ。これはきっと英語ではよく言う"I'm proud of you"の影響だと思うんだけど、それを照れずに日本語に落とし込んで伝えてくれるジェシーを本当に尊敬する。

そしてこのジェシーの”誇り”という言葉はどれだけ大我さんの支えになっていたのだろうかと、ずっと思っていたけど、今回は痛いほど思った。

初めて「自分よりも大切だと思った仲間」に、認められないどころか迷惑をかけて嫌われてるんじゃないかという不安を、”よく見ている”、”ネガティブ”な大我さんは強く感じていたと思う。その隣に、欠かさず応援してくれて「ミュージカルで活躍してる大我は誇りです」とどこへだって自信満々に言うジェシーがいるすごさ。

どれだけ、どれだけ救われただろう。

”誇らしい”という表現は、その誇らしく思う対象を”肯定”する以上に、その対象を”自分のもの”としても受け止めた上で周りに知らしめたいほどの好意を抱いていると示すことができる、すごく大きな愛だと思う。

1人でやっていくための軸であったはずのミュージカルという道が、グループでやっていきたいという気持ちが芽生えた後でも大切で仕方ないという葛藤に、大我さんはどれだけ苦しんだか計り知れない。そこにジェシーは大我の大切なものは俺にとっても大切で自慢のものなんだよと伝えに来てくれた。しかもそれを外側に向けて宣言することも厭わない。

そんな安心することあるだろうか。

しかもそう言ってくれるジェシーは大我さんが愛してやまない音楽を通して誰よりも繋がっていられる人。お互い苦手意識のある言葉を使わなくても、何時間でも一緒に歌って通じ合える人。相性が良くないと思った時があったとしてもそれをひっくり返すための努力をただただ楽しく一緒にできる人。

その人の絶対に揺るがない応援が大我さんにはあった。

SixTONESは6人それぞれに他の5人がいてよかったと思うグループだと私は常々言っているけど、京ジェ担の贔屓目だと言われてももういいけど、やっぱりお互いがいてよかったと、一番、一番思うのは京ジェなんだ。

それぞれジャニーさんに「YOUは1人がいいよ」と言われていた2人が、出逢ってくれて、同じグループになると自ら選んでくれて、隣に居続けてくれて、本当に本当によかった。

京ジェが大好きで仕方ない。

この話はあなたにお手紙書きましょうに繋がるところもたくさんあるんだけどこれ以上書くと京ジェぶろぐに支障をきたしそう(だしすでに京ジェパートが長すぎ)なので今はこの辺で。

2人の間にしか存在していない事実があるって知れただけでしばらく幸せに生きていけそうなくらい京ジェが好きです。今はそれだけ。ずっと隣で歌いながらもちもちしてて。

 

 

 

というわけで。

1ヶ月前から読むのが怖かった、なんならこの企画が決まった時から読むのが怖かった京本大我さんの10000字インタビュー、読んでよかった。

読ませてもらえて、本当によかった。

複雑に折り重なった未知の感情に相当泣かされたけど、今私の中に残ってるのはとても澄んだ温かい安心感と、これまで以上に強固に確立されたSixTONESと大我さんが大好きで仕方ないという想い。 

この気持ちを大切に大切にここに取っておきたいと思う。

そしてこれを抱えて、我らのセンタージェシーさんの10000字を迎えたいと思う。

 

 

SixTONES、毎日SixTONESでいることを選び続けてくれてありがとう。

大我さん、今日も京本大我さんでいてくれてありがとう。

どこまでもどこまでも大好きです。

 

 

 

 

 

2021.3.24 aim