2021年版ニュージーズ雑誌ラッシュがまだ半分しかすぎていないというのに、次にぶろぐを書くのはニュージーズを見てからだろうと思ってたのに、”ここで書く”文字にしなければ抱えきれないほどの気持ちに襲われた。
フォロワーさんには周知の事実だと思うけど、SODAでいつもSixTONESのインタビューをしてくれる上甲薫さんの記事が私は本当に本当に大好きだ。
同じ期間に何度も何度も作品のことや自分のことについて言葉にしなければいけないアーティストが、自然な流れで自分の気持ちや考え方を改めて解釈したり新たに発見することをサポートできるようなインタビューをしてくれるところ。アーティスト本人にもだけど、何より”そういう仕事をすること”に愛情と熱量を注いでくれるような上甲さんのインタビューには毎回毎回心をめちゃくちゃに揺さぶられる。
だから今期、奇しくも日経エンタでも上甲さんのインタビューを受け、既に今回のニュージーズ上演決定までとその先のSixTONES展望まで一通り引き出されていた大我さんが、もう一度、今度はSODAという場で、何を言葉にするのか、ものすごくドキドキしていた。今までのSODAを踏まえて、絶対にもっと内向きでパーソルになることだけは予想できていたから。
(日経エンタへの想いを抱えきれなくなってる私はこちら)
音楽と人2021年2月号も経た日経エンタの大我さん。リクエストもらってた感想も絡めて、金曜日のスペースでふわっと言ったことをまた喋る前に一旦整理したいなの記録。上甲さん担の人格は極力スペースに閉じ込めるので大我さんへの感想をここに。 https://t.co/Shwy8sJu8v
— aim (@tomatones1203) 2021年9月5日
そして迎えた2021年9月22日。
例えるなら、日経エンタは2次元的な広がりが壮大かつ過不足ないインタビューだった。丁寧にこの”待ち時間”の流れを辿った上で先を見据え、それを大我さん個人を超えたSixTONESの人格も通して見通していく、2次元的な距離の広がり。
それに対してSODAは3次元的に、単純に時間として過去にあることではなく、教訓や経験のような基盤として、上に新たな”現在”が積み重なっている過去を目がけて掘っていた感じ。そしてその上で”今”や”もしも”にも目線を向けていくような。
どちらもそれぞれに特別で間違いなく必要で、同じ上甲さんにやっていただくからまた意味の増す振り返りと展望。
抗い、受け入れ、凪となり
タイトルから天才なのはもちろんいつものことなんだけど、ここを読んだだけで”ニュージーズの記事”じゃなくて”大我さんの記事”なのがこんなにも伝わってくるのかっていうのが第一印象。そしてその気持ちで読み進めて”ああ大我さんだ…”ってさらに思う次の行が、実は大我さんじゃなくてジャックのキャラクター性だと綴られるところ。ずるい。上甲さん絶対わかって書いてる。
今期、SODAまでに発売されている8誌を読んで、長い熟成期間も経た大我さんのジャック観は、明らかに大我さんの中でジャックと自分の重なる面積や共鳴する音が増えているような印象で。
去年の 稽古も始まっていなかった取材と違って、今年は半分稽古をやった(=他の人と関わった上でのキャラクター観が構築され始めている)+1人で向き合う時間が異常に長かった上で迎える取材だから、それこそ告知インタビューじゃなくて振り返りインタビューに近いものがある特異な状況だったと思う。だから大我さんの演じる役への理解が深まって距離が縮んでいることは当然と言えば当然なんだけど、それを発信してもらうことに慣れていないのと、今の大我さんのジャック観、特にジャックがどういうリーダーなのかという解釈が、この期間ずっと一緒に生きて闘ってきたことを象徴するような言葉で紡がれるから、心が思いっきり振り回される。
きっとずっと大我さんのどこかにジャックはいて、ジャックがいるから辛い日も、ジャックがいるから頑張れた日もあったんだろうなって、既に歴史を感じるような感覚。
良きリーダーの秘訣に「周りに頼られ、決断を迫られるからバシッと決断するけど、ときにそれに答えられない弱さがあること」「助けたくなっちゃうような」「放って置けないような」「弱さを素直に見せられる」をあげる大我さん。
完全に”そういうリーダーを見守って、愛しく思って、半分しょうがなく助ける側”の目線だし、他のインタビューも読んでる流れで”そういうリーダーになら、自分もなれるかなと思って”とかいうと思ってた。思ったのに。
「うちで言うとジェシーがそうだし」
ここはまず(京ジェ狂いとして我を忘れる前に)大我さんが1人で新たな場に挑むときに、やっぱり「一人SixTONES」をやってるんだなっていう再確認ができると思う。メンバーならどうするかな?って考えることで、自分だけでは表現できないことや やり通すのが難しいかもしれないことを、SixTONESのことを背負ってる認識も強めつつ、乗り越えていく大我さんの素敵な必殺技のようなおまじないのような。大我さんが物理的にはメンバーと一緒にいない時でも、日々自らSixTONESとの絆を強めてるみたいで、2月のとくダネで聞けてから私はこの大我さんのスタンスが本当に大好き。
だからそれがアウェーのバラエティーに限らず、いわゆる本拠地の方のミュージカルで発揮されてると知ってとてもとても愛しくなった。”SixTONESの京本大我さん”が大好きで大好きで仕方ないひとなので、”大我さんの中のSixTONES”に滅法弱い。
そういう意味では大我さんの「今はもう人に嫌われるのが怖いから」と「譲れないもののために嫌われるならしょうがないけど、無駄に嫌われたくはない笑」という言葉も、私には大我さんのSixTONESへの想いの結晶に見えてたまらなく好きだった。自分がそうだからこう思っちゃうのかもしれないけど、たぶん大我さんはどこかの誰かに嫌われることは別に怖くなくて。ここで「嫌われるのが怖い」「無駄に嫌われたくない」って感じてる相手には大事な人、メンバーしかたぶん想定されていなくて。”無駄に嫌われない”っていうのは確かに使いこなせたら便利な能力だってシンプルに思うけど、理想のためならそこを諦める強さを持ってそうな大我さんがちゃんと好きでいてもらいたい想いをSixTONESに持ってる感じがすごく好きだった。
ちょっと脱線したけど「うちで言うとジェシーがそうだし」の抱える意味はもちろんこれだけでは終わらない。
今回の大我さんの”良きリーダー観”が”そういうリーダーを見守って愛しく思ってしょうがなく助ける側の目線”だとさっき書いたけど、そう考えると、そのリーダーの具体例にジェシーを思い浮かべる大我さんがいるということは、大我さんのジェシー観にそういう想いがあるってことだ。
大我さんにとって「周りに頼られ、決断を迫られるからバシッと決断するけど、ときにそれに答えられない弱さがある」「助けたくなっちゃうような」「放って置けないような」「弱さを素直に見せられる」人がジェシー。
そうやって、SixTONESのセンターや軸と表されるジェシーを見ている大我さんがいるなんて。
やっぱり、大我さんはジェシーのヒーローで、ジェシーも大我さんのヒーローなんだって思ってしまう。
ジェシーのことを間違いなくSixTONESの軸だと思っているけど、果たしてあのセンター感がジェシーが1人でも持っていられる資質なのかと問われると、ちょっと違うんじゃないかといつも思っている。もちろん、そもそも個人として本当に尊敬するとんでもなく素晴らしいひとなんだけど、”あの5人”と一緒だから、そして”あの5人”のためだけになら、発揮できる力がめちゃくちゃ強い人がジェシーだって認識の方が強いというか。それは”他の人じゃしっくり来なくて、絶対にあの6人じゃなきゃダメなんだ”って誰よりも先に思っていたジェシーも根拠になる。
だから、”周りがいてこそのリーダー”みたいなリーダー像に「良きリーダーの秘訣」を見る大我さんに胸がいっぱいになった。
それはジェシーが決して根っからの太陽なわけではなく、日陰を照らしたい一心で変身した太陽なのをわかってる大我さんで、誰1人欠けることなく5人が側にいることが何よりも活力になるジェシーをわかってる大我さんだから。
ジェシーに牽引する人としての信頼を間違いなく抱いてるけど、愛情深く見守るような目線も向けられる大我さんが大好き。
ほくじゅりのある種 盲目的な信頼に救われるジェシーもいるのと同時に、日陰がこわい自分も(というか日陰がこわい自分こそ)見てくれるような大我さんに救われるジェシーが絶対絶対いるって思ってるから余計に。スタオベ期では色々な要因が重なって後者のジェシーが顕著になっていたから”ジェシーのヒーロー大我さん”を強く感じたんだなって、ニュージーズ期に実感してしまう運命にまで私は想いを馳せられる。
でももちろん、ニュージーズ期だから”大我さんのヒーロージェシー”も強く感じられるわけで。そういう京ジェがもうどうしようもなく好きなわけで。
スタオベの完走も経て、ジェシーはとことん大我さんにとって「勇気をもらえる人」なんだなって改めて思ったけど、大我さんはジェシーの”弱いまま強い”ところに勇気をもらうことが多いんじゃないかと思う。大我さんにとって”弱さを共有すること”はファンとの関係を筆頭にすごく大事なものなんだろうなと常々思っていて、今回の「自分も苦手なことはいっぱいあるわけで。しかも苦手が一種の武器になることさえあると知った」って言ってるところもその象徴のひとつだと思う。だからそういう価値観において、めちゃくちゃ細かいことまで聞いてくるし「人生イチ」頼ってくる”弱さ”を見せてくるのに、確かな実力で奇跡のような現実を引き寄せる”強さ”も一緒に見せてくるジェシーは、大我さんにとって「勇気をもらえる」ヒーローなんだと思う。
こうやって似ているところと違うところが絶妙にズレてるから、わかり合って、時には平和に弾き合って、表裏一体じゃなくて”組みあわさる”ふたりな京ジェが大好き。あの身長の10cmみたいに、”間隔”があるからこそ生まれる深淵。
そしてここで京ジェの話は流石に終わりだろうって思うでしょう。私も思いたい。でももう一段階進んじゃうからいよいよ自分で自分に驚く域。でもしょうがない。ずっと今がいい(風磨くんを召喚すな)
これは編集の力もあるはずだけど、「ジャックももしかして優柔不断だったりするのかな?」から始めて「うちで言うとジェシーがそうだし」で締める大我さんは、”ジェシーを通してジャックを理解しようとしてる”って受け取れてしまう。
いろんな取材を経て、これを読む前に大我さんとジャックの距離がこれ以上なく近づいているという実感がかなり育っていた。だからこそ、そうやってどんなに距離を縮めていても、自分と全く同じとはいかないジャックをまだ探求していきたい大我さんの姿勢を強く感じるし、その探求の手段に”ジェシーとの比較”があることに受ける衝撃が大きい。よく知ってるし信頼してるジェシーを通してなら理解しやすいみたいに見えてしまう。
そんなの、そんなのスタオベを思い出すに決まってる。
QLAPで大我さん本人も言っていたけど、どう考えても設定的にジェシーより大我さんとリンクする部分があった誠也くん。
スタオベ感想のふせったにも書いたけど、その誠也くんを演じるジェシーを観て、ジェシーは大我さんを通して誠也くんを理解しようとしたところが少なからずあるんじゃないかと思っていた。それだけで私は京ジェ担としていっぱいいっぱいだった。
なのに。新たに、ジャックにジェシーの姿を見ている大我さんが現れた。ジャックのことは誠也くんよりずっと長く知っていたはずなのに、急に見える側面が桁違いに増えてしまった。
世の中にはありとあらゆる個性を持った役が存在するというのに、自分の一番隣にいるメンバーに似た設定や人間性のキャラクターを演じるということは、しかも自分の名刺になり得るような大舞台でそれを演じることは、どれだけの確率なんだろうと思う。
2人が自分の演じる役を解釈するときに、セリフの背景にある感情を理解するときに、そのキャラクターと一番近い身近な存在としてお互いを思い出してたかもしれないこと、お互いを参考にしたら理解が進んだかもしれないこと、その成果が演技として舞台の上で届けられていた/届けられるかもしれないこと。別に実際そこまでじゃなくても、そういう”可能性が存在できる”だけで気持ちがひたひたになる。
ジェシーと誠也くん、大我さんとジャックを大前提として、誠也くんと大我さん、ジャックとジェシーも、存在してしまう運命を引き寄せる京ジェが好き。これは運命的な現実を引き寄せちゃう京ジェだから、京ジェの好きなところというより”SixTONESの京ジェ”の好きなところかもしれない。
”お互いのヒーローである”大好きな京ジェから、”運命を引き寄せる”大好きなSixTONESの京ジェまで、あのたった10行から受け取って愛せる。
こうして大我さんのスタンスやマインドが大好きだなって、リーダー像の紐解き方でももちろん思ったけど、次に思ったところが「典型的なスレ期」だった「当時を黒歴史にするつもりはない」と楽しそうに振り返る大我さん。
嬉々として闇属性を振りかざすところも、自分の好きなものをとことん好きだと惜しみなく発信するところも、未熟だった自分を認めて面白がって振り返れるところも、大我さんの成長と努力の果てにある安定感と受容力だなと、そういうエピソードを聞くたびに憧れと信頼と安心が募る。週刊朝日で自分を「はちゃめちゃに子供」だと言っていたこととかもそう。本当に子供な人は、”自分が子供だ”と受容する力がない。
自分が決めたことに必要な努力は呼吸するように自然に惜しみなくできるし、自分には人一倍厳しいし、そういう芯の通ったストイックさと同じくらい、ちゃんと自分を理解して自分を大事にできる大我さんが大好きだし憧れ。自分にはまだまだ足りてないことがあると認める(さらに大我さんの場合はアイドルとしてそれを発信する)強さを持つことがそもそも難しいのに、それと同時に、それでも自分のこういうところも個性だし恥ずかしがるところでも取り繕うところでもないよねってバランスを保てる大我さんは本当にすごいと思うし、尊敬がやまない。
そうやって努力するべき自分と愛すべき自分をきちんと両立してくれるから、いつまでもこの人は進化していくんだろうなって目を離せなくなる感覚も、それでも自分を壊すほど追い込みすぎたり、自分を犠牲にして周りの期待に応えようとしすぎたりしないでいてくれるって、安心感も抱ける。
だから大我さんのことを好きな感覚には、逸る気持ちも凪いだ気持ちも、闘争心も安心感も共存するんだと思う。
そしてジャックとの繋がりも絡めて自分の10代を振り返る大我さんは 去年の取材でもBARFOUTで印象的だったところだけど、今年の方がやっぱり受容力が高いような余裕を感じたのは、やっぱりこの1年ジャックと寄り添ってきた結果なのかな、とも思った。そして年々凪いでる本人の感覚は間違っていないんだなって愛しくなった。
尖ってた自分も黒歴史として葬り去るんじゃなくて、こうやって役をきっかけに思い出して引き出せる大我さんはたとえこれからもっともっと凪いでいっても大丈夫だと思う。反骨精神が”想像”じゃなくて”経験”として引き出しにある人だから。
穏やかな気持ちになりすぎてることを「あんま良くないことだと思ってて」って言ってたけど、受け取らせてもらってる「強い眼差し」の写真はとてもじゃないけど「どうやってやるんだっけ!?」って心境で撮られてるものには見えないし(そんな心配しなくても毎回新鮮に刺されているので本当に心配しないでほしい。むしろ本当に反骨精神ばちばちだった大我さんの「強い眼差し」を浴びたら自分はどうなるんだろうと思う…)、FB +plus BEAUTY で「数年前より穏やかな顔になったと言われることが多くて、僕が求めていきたい人間像に近づいてるのが嬉しいんですよ」って言ってた大我さんが大好きなので。
過去を捉えるスタンスとしてもうひとつすごく好きだったのは「巡り合わせと運と努力によって前に進んでるという実感」という言葉。
「自分”には”自信がない」と再三言ってきた大我さんの「少しずつ自信がついてきた」という言葉の根拠に並ぶ3つが「巡り合わせ」と「運」と「努力」なのが本当に好き。自分の力だけではどうしようもない「巡り合わせ」と「運」に、自分に厳しい努力の天才である大我さんがちゃんと「努力」を並べてくれるところから、その自信が確実なものなんだなって思えて胸がいっぱいになる。
大我さんがここまで努力の人になったのは”努力する前から認められる”もしくは”自分の努力を超えた力を前提にされる”ことへの抵抗があるんだろうなってずっと思っていたから、それを今回答え合わせされたような気持ちになった上で、そこを超えた自分の道をちゃんと信頼して切り拓いてる大我さんが大好きだなって。
そして考え方として最後に好きだったのは自分が危険に立ち向かうときに天秤にかける選択肢が「親の思い」なところ。
私個人の問題かもしれないけど、危険に立ち向かうかどうかの判断に、その場にいない自分を想ってくれそうな人が関与する考え方は私にとって目から鱗だった。私はきっと、それが想像上の話だったとしても、そんな緊迫した状況では目の前のことしか判断材料にできない。
だから「俺、妄想癖がすごいから」って大我さんは言ってたけど、大我さんの現実でも想像でも周りをとことん”見る”才能と視野の広さがやっぱり好きだって思った。「別に自分を大切にしなくなったわけじゃなくて、それ以上に大切なものが生まれることがあるって最近ちょっとわかるようになってきたかも」って大事な人にかける想いがとても丁寧なところも。すき。
「別に自分を大切にしなくなったわけじゃなくて、」から繋げると、大我さんの逆接や前置きがたまらなく好きだって話もしたい。
やっぱり根っこがとってもネガティブな人だから、いっぱいいろんな可能性を想定することはある種「妄想癖」なんだと思うけど、そういう大我さんだから丁寧な前提とか逆接とかフォローが多いところがとっても好き。SODAだったら「それは番組側が悪い訳じゃなくてね」とか「自分への悔しさなら多々あるけど」、CanCamだったら「甘えてくれるのは好きなんだけど」とか「相手から来られると引いちゃうというより」。今までのインタビューだったらコロナ禍真っ盛りだった去年のwithで、誰も傷つけたくない優しさと丁寧さが滲み出る逆接の使い方が大好きだった。
大我さんの視野の広さや考察力、多面性が滲み出る言葉の使い方が好きだし、それが意図的ではあるんだけど作為的ではないところが好きで。それが好きなことに留まらず、信頼も募る理由だと思う。
そして逆接に限らず、自然と出てくる語彙そのものも、その紡ぎ方も好きだからこんなに心を動かされる。
最近「素敵」と「きゅん」という単語を躊躇なく日常的使える人がすごく好きだって実感があるんだけど、大我さんももちろんその1人で。あと例えばSODAでは「愛を持って何か教えてあげることはできるかな」とか「相手の表現プラン」って表現。この前の一番遠い親戚さんで「思いの積み重ね」って言ってたのもすっごく好きだった。
自分が救われてきた音楽に共通する言葉がそうだから、柔らかさと丁寧さが根底にある、意外性をはらんだ言葉を大我さんが紡いでくれるたびにどうしようもなく好きになる。
抗い、受け入れ、凪となり
最初はニュージーズと共に大我さんが過ごしてきた時間の変遷を物語るタイトルだと思っていた。
でも違った。
大我さんが今アイドルとして目の前のステージを選んでくれるまでの、もっと長く深い時間と経験の積み重ねに寄り添う題だった。
そして締めくくりの凪も全てが落ち着いた結果の凪では留まらず、もはや嵐の前の静けさのような、大我さんの可能性が、穏やかさは失わないけど、もっともっと広がっていく前段階の凪なんだなと思えるインタビューだった。
ただの感想を綴る以上に、想いをきちんと流れを組み立てた上で整えて確かめたいと思ったから今回はぶろぐを選んだけど、そもそもこういう想いにさせてもらえる文章を受け取れることがとても幸せ。これからも強火上甲担でいようと堅く誓います。
そしてやっぱり、大我さんが大好きで大好きで仕方ないので。一語一句隅から隅まで大好きなので。
心して逢いにゆきたいと思います。
毎日好きを更新してくれてありがとう。
2021.9.23 aim