種蒔く貴方、芽吹いて言の葉。
賢いひとが好きだ。
好きなタイプを尋ねられたら真っ先に「尊敬できるひと」と答えるし、絶対的な距離感のある好きなひとである推しも、”担当”になるための基準は なりたいひとであるかどうか であると、自担ふたりを並べて解明したことがある。自分の強靭な”好き”の源にはいつも”憧れ”と”信頼”があることも、ここ数年、毎日ありとあらゆる言葉を使って”好き”を表しながら、確信を深めている。
この”尊敬できる”、”なりたいひと”、”憧れ”、”信頼”を最もわかりやすく媒介する特性は知性。だから一番端的に言うと「賢いひとが好き」という言葉に落ち着く。
捉えようによっては耳障りの良い宣言ではないかもしれないけれど、これが一番的確なのが事実。
そして他人の知性を理解できる一番の手段が【言葉】だと思っている。”賢い動き”というのももちろん存在するから、行動で知性を示す/捉えることもできるけれど、目に見えない感覚や思考を他人に伝わるように変換する、という言葉を紡ぐ作業こそ、知性をわかりやすく表現すると思う。
2月。わたしのこの「賢いひとが好き」という感覚の原点にいるひとが、【言葉】を主題に展覧会をすると言った。ただでさえこの世で一番と言っていいほど安心を纏った信頼をくれる櫻井翔というひとが、またさらに特別な信頼を抱かせてくれる巨大な宝物を用意してくれた。
しかも記念すべき初日が、奇跡的に、唯一、10000km 離れた国から帰る数日のうちの1日。
ご褒美で、応援で、運命だと思った。
逆にその時間帯に当たったことが奇跡というほかないくらいのスケジュールで、到着から出発までタイムリミットは1時間。そんなに急いで周ったし、その直後に今の自分の頂点に君臨する6人の”初”に心を持っていかれていたから、何より翔くんに対しては圧倒的な甘えがあるから。感想は、【言葉】が主題の展覧会で香りを共有してくるアイドルがどれだけすごいか、を軸にふせったーに書こうと思っていた。ぶろぐにするほどのことは書けないとずっと言っていた。
でも、THE MUSIC DAYでブランクがあるはずの”””アイドル”””の顔を一瞬の「愛の手を」という音の葉に乗せて魅せた翔くんを見たら泣きそうになっている自分がいて、どうしようもなく好きが溢れていて、それを解明する作業にまた入りたくなってしまった。
手始めに、5分で引っ掴んできたきり開封できていなかったグッズの『ことばの箱』をついに開けた。そうしたらあの日メモする道具も時間もなかった呪われた自分を成仏させる小冊子が入っていて。どこまでも深い信頼を募らせてくれる翔くんをますます好きになってしまって。
だからその本に記録してもらった言の葉たちとも手を取って、ちゃんと『櫻井翔 未来への言葉展』を受け取った自分の言葉を記録しようと思った。翔くんが「未来への種」と呼ぶものの、わたしなりの起点を記しておかないとと思った。
何より、わたしの”翔くんが好き”という感情から【言葉】は絶対に絶対に切り離せないものなのである。だから、丁寧に蒔かれた種とよく目を合わせて、自分にとっての【言葉】も深く見つめながら、今日の言の葉を積み重ねようと思う。
(もし展覧会に行っていない人が読んでくれていたら、この記事を先に読むとどんな構成だったか、写真もたくさんあってとてもわかりやすいと思う…!記憶を呼び覚ますのにも素晴らしい資料…いつもありがとうCasa Brutus!)
”アイドル”櫻井翔、極まれり。
”ここは絶対に撃ち抜く”と照準を定めた時のステージ上での破壊力がとんでもないふたりであり、グループにいながらにして、”自分のファン”に対しての独占欲をきちんと表明する強さのあるふたりだと思う。
原点と頂点の交点 ~わたしの翔きょも論~ - Chasing Diamonds
翔くんと大我さんの共通する魅力としてこう書いたことがある。
わたし個人のためだったり、わたし個人を指していないことなんて当然わかっているけれど、”届ける”意識が明確にある言葉、さらに言うと”届け先”が明確に意図された言葉や行動を示してくれるひとが好きだ。わたしが”自担”や”アイドル”の定義を強烈に感じるのがこの側面とも言える。自分の確固たる好きなものや周りとの調和を重んじる軸がある上で、独占欲も時々見せてくれる翔くんと大我さん。そんなふたりの最も狭い射程圏内にいる事が、とても幸せで誇らしいと日々思っている。
『櫻井翔 未来への言葉展』は、会場構成を担当された鈴木浩一さんが
「一緒にお仕事させてもらって感じたのは、櫻井さんはファンのことを第一に考えているということでした。ものづくりにおいて、僕たちクリエイターを尊重してくれる一方、ご自身の意見を言うときは、常にファン目線。「これは一度見ているはずだから、もっと違う形で表現したい」とか「音楽はこっちのほうが喜んでくれるかな」とか。」
と翔くんのファンへの想いを裏付けてらっしゃる通り、翔くんの”自分のファンへの独占欲”がこれでもかと凝縮された結晶だったと思う。
それが会場を出て最初の感想だった。
決して、ファン以外にはちんぷんかんぷんな内容だったというわけではない。【櫻井翔という人間がこれまでどんな風に言葉と向き合ってきたか】が本当にわかりやすくまとめられた展示だったと思う。言葉を紡ぐ場が同時並行でブログ・ラップ・報道である人なんてそうそういないと思うから、翔くんの紡ぐ言葉のバリエーションを味わうだけでもすごく興味深い展示だったと思う(残念ながら櫻井担の自我でしか話せないし櫻井担以外で現場に行った嵐友達がいないので思うことしかできない)。
でも、端々で、”これをこんなにも喜べるのはわたしが櫻井担だから”という思い上がりとも言える感情を抱くきっかけを、翔くんは本当にたくさん散りばめてくれていた。”一番喜ばせたいのは俺のファンの君だよ”がそこかしこで聞こえた気がした。
だってまず会場に入って最初に見せられる動画の締めが
「では、参りますか。櫻井翔の言葉責め。さあどうぞ、私の頭の中をご覧くださいませ。」
2023/4/14 「未来への言葉展」初日・会場特別篇 welcome message @オトノハやぐら
なのだ。「私、自担に言葉責めされたことあるんだよね」って公式に言えるファン、この世に櫻井担しかいないでしょうよ(特大語弊)
冗談(冗談?)はさておき、これは ファンの心の撃ち抜き方”をあまりにも心得ている”アイドル"だと思った。そして、この展示が間違いなく、俳優でもタレントでもキャスターでもない、”アイドル”櫻井翔の本気の目線に満ちた空間であると、覚悟を決めざるを得ない幕開けでもあった。
前述したCasaの記事にはこの展覧会を作るにあたって
「アートと違って、言葉には“余白”がないと思うんです。目で見たり手で触れることで“感じる”ものではないので、一語一句くまなく読む必要がある。」
という不安があった翔くんも記されているけど、この「一語一句くまなく読む必要がある」という前提も、言葉へ細心の注意を払って受け取る人たちに向けた展示であることを想定していて、それはほぼ間違いなく”櫻井翔のファン”のことで、深い愛と信頼だなあと思った。
実際会場にはしっかりメモ帳を握りしめた人が何人もいたし、わたしだって時間さえあったら読める高さのオトノハは全部人目も憚らず(憚りなさい)隅々まで読みたかった。一語一句記憶できるほどのフォトグラフィックメモリーのない自分を呪った。これは結局『ことばの箱』の翔くんにほとんど救われてしまうのだけど。
そんな『ことばの箱』の小冊子にはNewsweekに初めて寄稿した時のことを振り返って
「俺、マジでびっくりしたんだよ。ファンの人にしかわからない言語で書いてたんだなって」
未来への言葉展特別インタビュー p.92
と言う翔くんもいる。わたしは小学生の頃から翔くんのことを好きにも関わらず、翔くんの言葉に対して違和感や理解できない感覚を抱いたことが一度もない。それは櫻井担になるポテンシャルが最初からあった、ということなのかもしれないけど、こんなに賢くわかりやすく伝えることに長けたひとはいないと信じ切っていたので、翔くんの言葉が伝わらない瞬間もあったということはわたしにとって結構な衝撃だった。
でも逆に、そんな経験を臆面もなく伝えてくれる翔くんは”自分が長年綴ってきた言葉(特にオトノハの言葉)はファンの人だけがわかる言葉である”と言っているひとになる。これも、とびっきりの愛情で独占欲だと抱きしめた。
展示に戻ると、「これからサクラップを浴びていただきます」と係の人に告げられて案内されたサクラップサウナのコーナーもまたひとつの「言葉責め」だなあとしみじみ思った。
実際聞き馴染みのあるはずのラップ詞を、初めて翔くんの声だけで、ものすごい高音質で、全神経を研ぎ澄ませて聴く時間はサクラップを”浴びている”と言うほかなく、熱のある音の葉にも言の葉にも身を浸す数分間になった。
そして何より、翔くんが自分のファンの手を取り(というか手のひらの上に転がし)続けることに余念のないひとだと痛感させられたのが香水の展示。
そこは「翔くんのこの言葉に一生ついていこうと思いました!」とか言えよと自分でも思う。もちろん、改めて翔くんへの言葉への愛と信頼はこれ以上なく深まった。それは絶対嘘じゃない。その証明はこの先の文字量が証明している。
でも、この展示でどの瞬間よりも強い握力でファンの手を離さない最強のアイドルであることを感じさせたのは、絶対に、
私物の香水を、香りを感じられるようにして、壁の裏側に、展示した櫻井翔。
係の人に「こちらにも展示ございま〜す」とゆるい感じで導かれた先の壁の裏にあんなものを置かないでほしい。先ほどまでサクラップを聴いていた空間の”””壁の裏”””というのがもう背徳感を理解されてて死んでしまう。
しかもその香水は友達からモテると勧められたもので?常用してた当時はフランスにしか売ってなくて?今は歌番組の時とかにちょっとだけ?モテるためではなく自分のために使っていると?????(これは今日書いているから言えることだけど、つまりTHE MUSIC DAY のあの「愛の手を」の翔くんはこの香水をつけている確率が非常に高い)(爆発音)
そんな説明の添えられた香水の瓶が目の前に置かれているどころか、どうぞ香ってくださいと言わんばかりに蓋がない状態で穴の空いたクリアケースの中に鎮座している。幻覚を疑わないわけがない。
みんなあのコーナーではおとなしく並んでいたから素早く動くべきなのはわかっていても、何が書いてあるのかも、なんで無意識に穴の上で手を扇いでいるのかも理解に時間がかかった。
推し香水を作りに行った時に自分の香りを識別する能力のなさに絶望したわたしなので、その香りのことは”爽やかかつ中身がギュッと詰まった感じ”とでも言うのか、とにかくめちゃくちゃ素敵な香りだった。と思う。としか言えない。そもそも丸1日タイムアタック中でもうずっとパニックだったからわからないけど()意外性があるというよりは納得で信頼で好きが深まりに深まる感じの香りだった。それだけは確か。(これはその日のうちに書き殴ってあったメモの抜粋だけど、それでもこれしか書けていない)
そしてこのひとには一生敵わないし一生心を離されることもないのだなと痛感したことも確か。『言葉展』なのに、”会場に行ったからこそ味わえる体験”はサクラップサウナの”音”でもうさせてもらっていたのに、人の記憶と一番結びつきが強い五感とも言う嗅覚に訴えかける展示をした櫻井翔というひと。お仕事の軸が歌って踊ることに置かれなくなろうが、華やかなエンターテイメントとしては映りにくい【言葉】の展示をしようが、本当に、本当に本当にたおやかに強かな”アイドル”櫻井翔が好きだと、心を撃ち抜かれ直す展示だった。
でもこれはあくまでも一側面。
櫻井翔 ”が” 伝えるということ。
僕なんかじゃ、伝えられないことが沢山あります。
僕なんかじゃ、届けられない方々が沢山いらっしゃると思っています。
それは年々強く感じています。
でも
僕じゃないと、伝えられないことがある。
僕じゃないと、届けられない方々がいる。
思い上がりにも似た思い込みをしながら、僅かでも届けられることを、
届けられる想いを伝えていきたいと思っています。
絶望に押しつぶされそうになる時もあるけれど。
オトノハ 2017/9/15 vol.166 伝える(24時間テレビコメント原案)
「オトノハ」でハイライトされていたこの言葉を一番感じたのは、実はその先の 「NO MORE WAR」 と東日本大震災の「来年も再来年も」のゾーンだった。
体質と言うべきか感受性の問題と言うべきかわからないけれど、わたしはとにかく過敏なところがあって。強い念の宿る場所や事柄に触れると、あっという間に立っていられないほどの体調不良に陥る。戦争に関連するものに対しては特にその傾向が強くて、ホロコーストについての動画を授業で見ただけで2日起きれなくなったり、ナチスに没収されていた絵画を集めた展覧会に足を踏み入れてしまい、早歩きの究極形で逃げ出したこともある。ベルギーの塹壕を見学しにいく実習なんて行く前から熱が出て欠席した。
知識欲の強さは当然、知識の源泉とも言える歴史に興味を向けるのに、深追いすると自分の身が危ないという矛盾を抱えてしまっているので、結局歴史は学校で習う最低限しか学べていない。戦争を避けて学ぶなんて到底できない分野は流石に自分の身を削ってまで追いたいほどの情熱の対象にはなり得なかった。
震災に関しても近い事が言える。震災の1年後の夏、宮城の小学校に転任することを選んだ前年の担任の先生を訪ねて被災地を訪れたことがある。先生の新たな教え子に話を聞いたり、ニノの浅田家を観た人なら覚えがあると思うけど、水や泥で汚れてしまった写真や賞状を綺麗にするボランティアにも参加した。
自分の記憶では、知ることしかできない自分の無力さも強烈に感じながらも、それでも、”知らない人生”ではなくて”知ることができる人生”でよかったと思える、得るものの多い時間だった。でも母に言わせるとそこから帰ってきてからの数ヶ月に渡って、わたしは気持ち的にも体調的にも明らかに低迷していて、かなり心配をかけたらしい。
こういう自分が情けないなと思う。実体験として戦争や震災の経験がある人に、顔向けできない体質だなとも思う。日本を出て過ごす日本人として、原爆の歴史に触れたことがないこともずっと罪悪感でしかない。
でも、今回の展示に限らず、今までの翔くんのフィルターを通した戦争の話・震災の話とは体を壊すことなく、向き合うことができた。虫がいい話かもしれない。でもこれはわたしにとってはひとつの救いだった。ちゃんと自分の健康も守りながら、「知ること」を諦めないでいられる手段を貰えたから。
前述の言葉に
知ることはきっかけになる。
知ることは抑止力になる。
知ることは背中を押してくれる。
知ることは勇気を与えてくれる。
だから、僕は伝えていきたいと思います。
過去を、そして今を知ることでしか、未来の種は撒けないから。
オトノハ 2017/9/15 vol.166 伝える(24時間テレビコメント原案)
と続けた翔くんは、「知ること」に愛情を注いでいても”知ることしかできない”と思ってしまう瞬間を救い出す翔くんであり、同時に、その「知ること」さえままならない瞬間があるわたしのような人間も、「僕じゃないと、届けられない方々がいる」という自覚を持って、「知ること」の大きな力のもとへ手を引いてくれる翔くんだった。
2017年は日本にいなかったので、24時間テレビで翔くんが届けたというこの一節をわたしは今回の展示で初めて知った。
わたしが「翔くんからじゃないと」「知ること」ができなかった理由は、翔くんの想像している「僕じゃないと」とは違うかもしれない。それでも確実に「翔くんじゃないと」できなかったことで、翔くんがそういう信念を持ってくれてるから救われたわたしがいて。そのパズルのピースがハマるような感覚はとても温かくて。
他の誰でもない、翔くん”が”伝えてくれる事実と改めて見つめ合いながら、翔くんの祈りにも似た想いにちゃんと救われている人間がいると伝えられたらいいのにと思う展示だった。
櫻井翔の言葉。
「言葉責め」と形容されるのも納得するほど翔くんの言葉を浴びて、翔くんの言葉の好きなところを改めて考えた。
常に姿勢が良いところ だと思った。
公の場で紡ぐスッと背筋の伸びた言葉に限らず、オトノハで面白エピソードをお茶目に共有してくれている時でも、ラップ詞でラグビー選手のように低いところで戦闘体制になっていても、翔くんの言葉は姿勢が良い。
とにかく、いつも安定した品と、軸と、一貫性がある。それが大好き。
例えばブログをそもそも「月1回でも読み物として耐えうるものを書こう」と思って始めていたり、ラップ詞も「文字面として、読み物として、あるいは耳障りとして、きれいなものとして成立させる」意識があったりする人であることは、翔くんの生き様に常にノーブルさ感じられるひとつの理由だし、
お母様からの遺伝もあるであろう紙資料への愛情、それとも通ずる積み重ねへの深い信頼は翔くんのブレない一貫性を象徴するし、(今回展示でフィーチャーされていた出生証明書も交番にお金を届けた証明書もアーカイブしてたお母様、本当に信頼の嵐担みんな大好き櫻井母で最高だった)
「楽しくなって没頭しちゃうのがわかってたから」という視点の高すぎる理由で「書くこと」を避けていた翔くんの子供時代からは言葉と中途半端に向き合ってない真摯な軸が見えるし、
大学卒業の時に作った歌に対して
「自分の中の散らかっちゃってまとまりきらない感情みたいなものを、歌詞にして曲に落とし込むことで1個凝縮できるというか、真空パックにできるというか…」
未来への言葉展特別インタビュー p.95
と言う翔くんには、嵐の休止までの時間を閉じ込める時もよく「真空パック」という言葉を使っていたのも思い出して一貫性を噛み締めた。
そもそも”宝箱”とかでもいいだろうにあえて「真空パック」を選ぶところも、目の前の景色の”鮮度”への思い入れと、それを閉じ込めるだけの力があるという言葉への信頼と尊敬を感じる。
姿勢が良いということは、広くたくさんの人に好印象を与えることを可能にするし、それは伝えたいことを正確に届ける確率を上げる。
そして共に時間を積み重ねていける人には、その姿勢のブレなさがそのまま揺らがぬ信頼として刻まれる。
そんな翔くんの言葉がすき。
それを噛み締めた展覧会だったと形容するのが、いちばんのまとめかもしれない。
わたしと言葉。
本当は、もっともっとじっくり味わいたかった。冊子にフォローしてもらったとしても、ちゃんとその場にある言葉を自分の何かにも刻みたかった。
でも、深く、深く、深く。どこまでも信頼の募る展覧会だったことは間違いなくて、それは自分なりに言葉と共に生きていきたいと決意を改める時間とも言えた。
主食。栄養源。強み。武器。アイデンティティ。憧れ。親友。理解者。
わたしにとって【言葉】はありとあらゆる 【欠かせないもの】に言い換えられる。
本と音楽に縋り付いてかろうじて生きていた期間があった。
1日の大半を共にする人たちの誰にも通じないし、誰にもわかってもらえない。相手のことをわかろうとしていないから、自分もわかってもらえないんじゃないかと思って、必死に相手の理解を試みても、結局辿り着くのは諦め。
そういう時にも、本を読んでいる時間だけは別の世界の住人になれて、音も纏える【歌詞】という言葉はたくさんの【わたしのうた】に変身してくれた。なんで会ったこともない人たちの方がこんなにも自分をわかってくれる物語を描いて、歌を歌ってくれるのか、気になって、憧れて、大好きになった人たちの思想や価値観も結局言葉で追って、それを日々大事に抱きしめて生きながらえていた。文字を読んで逃避して、音楽を聴いて守られていた。
さすがにもう少し上手に生きられるようになって、もう何かに縋って生きている感覚はなくなったけど、ここまで救って守ってくれた言葉たちはわたしの中でずっと生きている。そして本よりもいつでもどこでもそばにいてくれる時間が圧倒的に増えた音楽からは【わたしのうた】を今も日々もらい続けている。
勝負の年の初めに『FASHION』をくれたSixTONES。初めての挫折らしい挫折と迷走に寄り添うかのように、「いちばんだいすき」なふたりが主役の『Good Luck!』と『ふたり』をくれたSixTONES。人生最大の正念場の直前、歳を重ねる日のたった2日後にグループのマイルストーンを刻み、そのテーマソングが帰還と解放の『ABARERO』だったSixTONES。門出を祝うかのように、でも新たな旅立ちにもリンクするように、『こっから』をくれたSixTONES。
この1年、本気で運命を信じてしまうほどの寄り添いを感じさせてくれたSixTONESも、【わたしのうた】をたくさんくれる大事な言葉の操り手。
こうしてたくさんの【わたしのうた】に変身してくれる曲たちに寄り添われて救われてきたわたしだからこそ、自担からの"独占欲"という表現にも弱いのかなと思う。憧れの存在と同じ世界を生きている実感を得ることが、そしてその認識を信頼する【言葉】で共有してもらうことが、ずっと救いで希望なんだと思う。
こんなに【言葉】が大事で【言葉】が好きだし【言葉】に少なからず”得意”の感覚も持てているけど、わたしが今のところ人生を捧げるつもりの分野において【言葉】はあくまでも脇役。他人と関わることが不可欠な世界において、【言葉】を操れることはもちろんひとつのアドバンテージにはなる。でも、【言葉】が商品になる道は選ばなかった。
だからきっともっと”得意”の気持ちを生かした道があった人生だなといつも思う。”得意”や”できる”を押しのけて先走る”好き”を追っているが故に、あえて難しい方に進んでいると不安になることもある。
それでも、みんなが【言葉】を主戦力として使わない場だからこそ、自分の【言葉】への思い入れが新しいことに繋がるんじゃないかと信じたいし、【言葉】を深く想う自分だからこそできるこの世界での表現を求めたいとも思う。
【言葉】を主題にするにあたって、翔くんは当然、言葉のマイナス面にも触れた。
【#櫻井翔 初の個展を開催】
— news zero (@ntvnewszero) 2023年4月14日
4月14日から開催の「#未来への言葉展」#サクラップ #戦争 #震災 など#アーティスト や #ニュースキャスター として
伝え続けてきた「言葉」を展示
「言葉は怖いからこそ、大切にしたい」
櫻井さんが個展に込めた思いとは
中島キャスターが取材#newszero pic.twitter.com/alAqOIRlmO
「言葉って怖いし、脆いし、儚いし。その刃が人に向くこともあれば、自分に向けられることも、たくさん経験してきたから。だから大切に大切に、届けていかなきゃならないんだなと」
と言う。でも、
「この時代誰かを傷つける言葉も簡単に発信できてしまう(し)…」
とまとめられそうになれば
「そう、なんだけど、でもやっぱ誰かを守れるのも言葉だなって思うし、光見えるように導くことができるのも言葉、だと思うし。怖いからこそ大切にしたいと思うし、大切にすればするほど怖いなって思うし。」
と続ける翔くんもいた。
何より、翔くんはこの展覧会で「過去や積み重ねを振り返って知ることが未来につながる」という信念のもと、自分の【言葉】を集めて、まとめて、共有してくれた。
【言葉】を取り巻く暗闇もよく理解した上で、
【言葉】が最大の武器とは捉えない人も多いアイドルの世界で、
それでも【言葉】に守る力や光を見る翔くんは、
やっぱり揺らぐことなくわたしの憧れのひと。
翔くん、貴方の言葉が大好きです。
「貴方の言の葉が好きなわたしです」と誇れる自分でありたいから、今日も姿勢を正します。
2023.7.20 aim