愛されている。
とめどなく溢れてくる涙で袖を冷たくしながら、恥ずかしげもなくそう思った。
好きになったらその相手のどんなネガティブに見える面でさえも愛してしまうことを指して「恋は盲目」だなんて人は言う。アイドルとファンの関係に対して使われるときは特に、自担を全肯定するファンに対しての呆れの言葉として使われることがほとんど。
でもわたしは、本当に盲目的な愛をくれるのはアイドルの方だとしか思えない。
#アイドル短歌アンソロ
— aim (@tomatones1203) 2023年10月4日
改めて。素敵すぎる表紙を塗り絵させていただいて、短歌は050で載せていただきました!「アイドルであることは誰かの光であること」と紡ぐ大我さんが自担なのでどうしても暗い中で光るイメージにしたくてデジタルにしました。めちゃくちゃ上質に幸せな時間だった〜! pic.twitter.com/6kdrA5i45t
短歌を詠んでる間も、人生に影響を及ぼすほど好きな対象がアイドルに限らない自分だからこそ、"アイドルが好き"にならなければ知り得なかったことに想いを巡らせる素敵な時間でした。結局31文字に収めきれてないけどこれを書くまで表現を完成させられない長文の病に冒されているので()なが〜い補足です pic.twitter.com/aYAUZYom42
— aim (@tomatones1203) 2023年10月4日
ビジュアルやパフォーマンスといった視覚的な情報はもちろん、インタビューやブログのようなあらゆる媒体を使って届けられる自己開示を経てからしかわたしたちファンはアイドルを好きでいることを選ばない。知って、見えてから、好きになる。当たり前のプロセスを踏んでわたしたちは”好き”を選ぶ。
でもアイドルは違う。”自分のことを好いている人たち”というぼんやりした括りの中にいるありとあらゆる人間を”ファン”として認識し、そこに愛を返す。これこそ相手が本当に見えていない(少なくとも見えている情報量の釣り合いが全く取れていない)「盲目的な愛」だと思う。
映画ファーストキスでも「この世で一番嫌なことが何かわかる? 好きじゃない人から好きって言われることだよ」というセリフがあるけど(このセリフが言葉通りの意味で使われているわけじゃないことは重々承知の上で引用する)、自分から好きになったわけじゃない人、ましてや名前も声も知らない、顔も個としての識別はついていない人からの真剣な好意は怖いとすら感じても自然だと思う。だって”好印象を持たれる”のとは話のレベルが違うから。いろんな強さや表現方法、弁えているボーダーラインも違う好意を不特定多数から浴び続けるというのは並大抵のことではない。
それでも愛されなければ成り立たない職業だから、”愛を返す”仕草はアイドルの技術力が試される瞬間であり、世に存在するその仕草の中にはビジネス的なものがたっぷりあると思う。そして本心との乖離があったとしても、ファンを満足させるという関門さえ突破できればそれだって立派な愛になり得る。ギブアンドテイクは充分に成り立つ。だって冷静に見てみればあくまでも間接的にしか人生に関与し合わない関係性だから。
こんなつらつらと言語化をできる程度にはわたしはこういう理解を持ってアイドルを好きでいることを選んでいる。永遠を望みつつも永遠など無いことも強がりでも無いよって言いながら言える。本当に。実体験だってちゃんとある。
なのに。なのに京本大我さんは今日も颯爽とわたしの世界をかき回していく。
笑いながら言っても実は泣いていることも、強がってるわたしの後ろには肩を震わせてるわたしがいることも、見えていないはずなのに知っている。見えている。見えてしまっている。目隠しをしていてもなお愛を強力な原動力にして心ごと掴まれて、その心を直接じっと見られている気持ちになる。
その上この見透かされている描写はあくまでも一曲の導入でしかないんだから大我さんには敵わなくて。
永遠など無いことを泣き笑いで認める人間を、大我さんは誰にも譲りたくない今を共に生きる理由にしてくれてしまう。一緒に笑って生きる未来を模索してくれる。変わらない関係性を望んでくれる。声に「何度救われただろう?」と思うことはこちらのセリフでしかないし、そんなはずがないのに自分が自分でいられるための要素の全てだなんて大きすぎるものを託してくれてしまう。一緒に生きることの意味が何気ない今を愛せるようになることや弱さを庇い合うことにまで及ぶ。「終わらない世界」を手繰るだけじゃなく、「終わらせぬ、世界」(ここの読点この世でいちばん好き)に世界を自分の力で変えてから引っ張って引っ張って引っ張って、一緒に生きてくれる。
ここまでの曲をファンへの曲として真正面から受け止めるなんて烏滸がましいって気持ちがないわけない。思い上がりなんじゃないかって思わないわけがない。でも大我さんは言ってのけてしまうから。お誕生日ソロライブという明らかに自分をいちばんに想っているファンしかいない空間で
「あなたがた ひとりひとりを想って作った曲です!」
って。世界初披露してくれた昼公演でも、この先ずっと記録に残り続ける夜公演でも、必ずこの曲のテーマとして客席を丁寧に指差しながら高らかに言い放った。
だからわたしはもう何の言い訳もなく真正面から信じたい。ねじねじ考えて照れて怖気付いて身を引きたくない。”永さ”を望ませてくれる信頼を日常的に築きながら「己の心を大事に生き続けるので一緒に幸せになりましょう」「ずっと大事にするんで安心して心を委ねてください」と言う大好きで大好きで仕方ないひとの想いを言葉通り受け取って、受け取った自分として生きてみたい。「生き合い」たい。
そして言いたい。
音楽とその言葉で命を繋いできた過去のわたしも全員まとめて颯爽と虜にして人生最大の”好き”を紡がせてくれる大我さんはどう考えてもわたしのヒーローで。『終わらせぬ世界』はわたしの人生史に残る宝物です。
気づいたらもうすぐ6年、毎日毎日増え続ける”好き”に飽きもせず慣れもせず自分でも自分に驚き続けながら、例えばアルバムの感想言うためにお誕生日に書くみたいなぶろぐを出張帰りのど平日深夜に滔々と綴りながら()大我さんとSixTONESのことを心の底から宇宙の果てまで大好きでいさせてもらえるだけでわたしはこれ以上なく幸せなんだ。本当に。それでも、そうやって勝手に好きいるだけなのに、心底大事に愛を返されていると、愛してもらっているとこんなにも思わせてくれる大我さん。そんなこと全然ないのに「口下手だから」と言いながら信じ難い速度と規模で道を切り拓いて夢を叶えて”音楽で”愛してくれる大我さん。
そういう大我さんを好きになれたことはいつだってわたしの人生最良の選択で誇り。背筋を伸ばして、一緒に世界を終わらせないでいられるくらい精進を続けて、生き合いたいと思わせてくれる特別なひと。こんな今、誰にどんな条件を差し出されても、わたしだって絶対誰にも譲りたくないよ。
大我さん、ついに完成した記念すべき初ソロアルバム『PROT.30』、発売本当におめでとう。
これからもずっと、ずっとずっとずっと、あなたが終わらせないでいてくれる世界を、一緒に見させて、生きさせてください。
2025.4.23 aim