Chasing Diamonds

長文考察愛だだ漏れ系aimのぶろぐ。140字じゃ足りない愛は原石を追いかけて。

It's Been Raining since Dawn ~雨 × Dawn 考察~

 

2023年5月

SonyGW後半戦真っ只中ですが、今年の夏の過ごし方は決まりましたか⁉️ 夏を前にやって来る梅雨☔️ そんな季節を過ごすのにピッタリな曲はこちら👉 SixTONES『雨』 君がいない喪失感と繰り返す孤独…胸をえぐられるような思いを綴った、激しくも切ないRockバラード。」

わたし「絶対好きじゃん」

 

2023年6月

CDを手に入れて聴いたら雨はまた新たな角度で大好きな曲へと変貌した。

 

だって雨とDawnって同じ世界線じゃん?

 

 

 

 

 

 

①伴にする言葉たち

 

SixTONESのロックバラードで「雨」というキーワードが出されたら真っ先に思い浮かぶのは当然 Imitation Rainだと思う。現にわたしも情報解禁の際、デビュー曲と共通するコンセプトを今改めて構えることがめちゃくちゃ「こっから」であると喜んでいた。

でも振り返ってみれば このロックで雨を奏でるSixTONESには Dawnの時点でも巡り合っていたのだ。これはわたしの和訳ぶろぐの一節。

夜明けまで止まることなく続けるのが Dance in the rain なのは Imitation Rainで本格的な旅路を始めたSixTONESにあまりにもぴったりな、過酷でありながら美しい闘い方で、素敵な曲の繋がりだなと思います。

The Break of Dawn Awaits SixTONES Everyday 〜Dawn 和訳と考察〜 - Chasing Diamonds

 

そして「雨」を筆頭に、雨とDawnには共通する / 対になる言葉が本当に多い。

 

「雨」を具体的にあげていくならば

 

Dawn(和訳は全て前述のわたしの和訳ぶろぐより)では

We're gonna make it through the rain

の中だってたどり着ける

We're just gonna dance, dance, dance in the rain

ただただの中踊る

のフレーズが「雨」を含み、

 

雨では

遁れ 

を一人差しても 大きすぎるんだ

そういえば今まで ずぶ濡れになっても 君が拭ってくれていた

の中 君いないのなら

打たれても

の外に君がいるなら

「雨」の関連語。

 

「飛翔」に関する語彙も

 

Dawnの

Gotta spread my wing

を広げないと、

Going up, up we can fly higher,

さあ上へ、上へ、もっと高く飛べる

 

雨の

も浮かばれないよ

捥がれても

飛ぶのさ

 

と、わかりやすく共通点を見出せる言葉たちがこんなにもたくさん並ぶ。対になる表現や大意で捉えた時に見えてくる共通項もまだまだあるのだけれど、この時点でこの2曲を同じ世界線に置きたくなる気持ちはわかってもらえると思う。

 

 

 

② 「君」の正体

 

ただ、伴にする言葉たちが多いというのを気づきの入り口にするにしても、それだけで同じ世界線だ!と騒ぐのは安直である。

特に雨とDawnは”言葉”を伴にしつつも”テーマ”が大きく違う曲だから、その2曲をどんなプロセスでなら同じ世界に置けるのか、きちんと解明しないといけない。

(そう、こんなに書いてからで言うのもおかしいけど、これはあくまでも同じ世界線に"""置ける"""という話。特に作詞作曲者が違って繋がりが意識されている可能性などないに等しくても同じ世界の空気を双方から感じ取れてしまう奇跡について、このぶろぐは騒ぎ倒しているのです。しかもDawnはSixTONESファンお馴染みのGASHIMAさん作詞であるのに対して雨の担当は今回初めましての山本加津彦さんということなので、余計に関連性が意識されている可能性は低い。それでもなお、同じ世界線に”””置ける”””という話)

 

和訳ぶろぐで

(Dawnは)今後SixTONESがより広く高い世界に挑んでいくにあたって、武器であり指針にもなる曲だと思っています。 何を重んじ、どのような覚悟を抱きしめて、”夜明け”を”6人で”目指し続けるのかという指針。

The Break of Dawn Awaits SixTONES Everyday 〜Dawn 和訳と考察〜 - Chasing Diamonds

と書いている通り、わたしはDawnは夢や覚悟を歌った曲だと思っている。歌い手もしくは聴き手のためだけの曲であり、他者との関係性の曲ではない。

 

そんなDawnに倣って雨も

「君」= 夢 = 夢や覚悟の曲

という方程式を立てられないことはない。

わたしがプロモ期レビューの中で毎期一番信頼しているEYESCREAMの小林さんによる”「こっから」に収録されるからこそ”という解釈も好き。

(雨は)恋愛の喪失感を描いた楽曲だが、「こっから」のカップリング曲として収録されることにより、別の側面も見えてくる。「こっから」が夢に向かってがむしゃらに走り続ける楽曲だとするならば、「雨」はその道のりの途中で打ちのめされた苦しみを歌った楽曲だ。しかし彼らは<羽捥がれても 手の届かない場所までも(中略)飛ぶ>のだ。苦しさをフューチャーしながらも、夢を諦められない人の歌だ。

Review:SixTONESが「こっから」の4分間に込めた本気のマイクリレー | EYESCREAM

 

でも、これはあくまでも部分的に成立するテーマの重なりであって、やっぱり雨は恋愛の歌だ。

 

「君」とは別に「夢」という単語そのものが使われているし、

「ずぶ濡れになっても君が拭ってくれていた」「あの日見送る君」の「君」の行動は夢を擬人化して執らせるにしてはさすがに少し不自然だし、

悲痛な

Where are you? I miss you...

何処にいるの?恋しいよ…

You know what I mean...

君だってわかってるでしょう…

また、劇的な間奏に文字通り飲み込まれていくようなエフェクトのかかった

君さえいれば

は「君」への激情の象徴だし、

何より、この一曲で「君」は12回も登場する執着の対象。一曲の490文字のうちの12文字が「君」。

 

やっぱり雨における「君」は主人公が愛し恋する恋人なのだ。

 

つまり雨とDawnは伴にする言葉がありつつ、テーマ(ジャンル)は異なる曲だと言える。

それでもなお 同じ世界線だ!とはしゃげる わたしのような人間がいるのは、物語には必ず、時間軸があるから。

 

 

 

③時系列の妙

 

雨とDawnの世界を同時に旅するには雨の時の流れを紐解くことが必要不可欠。

 

 

雨 冒頭の

雨遁れ 遁れ 遁れて

何処までも 何処までも 何処までも潜み

愛遁れ 遁れ 遁れて

辿り着いたのは 何故同じ地点

 

一人ただ佇む 雨宿りの夜に

傘を一人差しても 大きすぎるんだ

そういえば今まで ずぶ濡れになっても 

君が拭ってくれていた

はまず現状を説明している、”今”。

繰り返される「一人」によって「一人」に対する気づきを得た瞬間のように捉えられる。

「今まで」に加え、「君が拭ってくれていた」が「いた」と過去形なことも、”その拭ってくれる時間はもう終わっている”と示す。

 

そんなパートの中で疑問視されている「同じ地点」。

それは1サビでもありラスサビでもある

雨遁れても(1 )(ラスト)

傘の中 君いないのなら

愛削がれ 削がれ 削がれ

空も浮かばれないよ

羽捥がれても

手の届かない場所までも

君 焦がれ 焦がれ 焦がれて

飛ぶのさ(1 )(ラスト)

の一節だと思う。

雨という一曲において対になる部分は多くとも、歌い方と少しの歌割り以外全く同じなのはこのサビだけ。つまり「同じ地点」

そしてその「同じ地点」に「辿り着いた」ということはやはりこの一節目は過去を経た"現在"なのである。雨からも愛からも遁れて、いない君に焦がれるのが、"今"。

 

 

”今一人であること”を強く実感してしまっている主人公は基本的に一人で語る。だって「君」はいなくて一人だから(それはそう)。でも一人でだって”語りかける”ことはできる。

Where are you? I miss you...

何処にいるの?恋しいよ…

You know what I mean...

君だってわかってるでしょう…

和訳と比べるとよりわかりやすいと思うけど、ここでの英語は”この言葉たちは語りかけるセリフですよ〜”と伝えるのに本当に効果的。

「君は何処にいるの?」としなかったように、日本語でなら誰に向けての言葉なのか濁したまま語りかける方が自然である一方、英語は必ず主語を必要とする言語

だからこの英詞は一曲の中で唯一の異言語という違いで焦がれる気持ちを際立たせているだけではない。この言葉たちには明確な宛先があり、その宛先は紛れもなく You =「君」と示すこともできている。

 

 

そんな「君」への言葉を溢した後のこの一節は、そのさらに後に待ち構える回顧への導入。

先浮かれ 浮かれ 浮かれて

何時までも 何時までも 何時までも望み

夢廃れ 廃れ 廃れて

歩き始めた所以も 今忘れてる

「今」の登場が最後の行であることによって、それまでの行がこの主人公が辿ってきた変遷であり過去の振り返りであるとわかる。浮かれて、永遠を望み、代わりに夢は廃れ、歩き始めた所以も定かではない、状況を経た「今」。

 

そしてここで「夢廃れ 廃れ 廃れて」と「歩き始めた所以も 今忘れてる」が連なっていることこそが、この先が過去の回想であり、その過去こそがDawnの時代となり得る最大のヒント。

”夢が廃れたこと”と”歩き始めた理由が不明なこと”が並ぶということは、その「夢」が「歩き始めた所以」であることが想像に容易い。つまりこの人は元々は夢を追って歩き始めたはず。でも「先」と「何時までも」に象徴される”未来”に浮かれて”未来”を望んでしまったが故に、「夢」は廃れ、今は記憶にすら残っていない。

 

 

「夢」が栄えていたのはいつのことだっただろう。そんな回想が続きの一節。

あの日見送る君 独りよがりな朝

前ばかり見て 振り向こうともしなかった

もう歩けなくなって 俯き後ろを見たら

まだ其処に君がいた

 

雨打たれても

傘の外に君がいるなら

苦に呑まれ 呑まれ 呑まれ

辛くても構わないよ

腕捥がれても

夢届かない場所さえも

君 伴に 伴に 伴にいて

生くのさ

この2Bと2サビこそ、Dawnと雨の世界を繋ぐ言葉の宝庫。

 

まず共通しているところから触れていくと、

Dawnの

We're gonna make it through the rain

雨の中だってたどり着ける

We're just gonna dance, dance, dance in the rain 

ただただ雨の中踊る

雨の

雨打たれても 傘の外に君がいるなら

は”雨(=苦難)をも超えられる”というフレーズたち。ネガティブに捉えられがちな雨も気に留めないスタンスが共有されている。

 

そして Dawnの

Going harder when we feel the pain

痛みを感じるほど強く進む

雨の

に呑まれ 呑まれ 呑まれ 辛くても構わないよ

はもはや「雨」を比喩として使わずに直接的に「痛み」や「苦」という言葉を発し、それさえも肯定していける強さを共に語る。

 

雨の

夢届かない場所さえも

は「さえ」によって「夢が届かない場所」が重みを孕んだ場所であると表現することで、夢こそがテーマであるDawnと「夢」を重視する姿勢・価値観が同じだと示す。

 

 

またこの雨の2Bにおける

独りよがりな朝

前ばかり見て 振り向こうともしなかった

もう歩けなくなって 俯き後ろを見たら まだ其処に君がいた

Dawnの

Won't stop, Never flop, Cuz we got to go

止まらない、諦めない、だって進むしかないから

We will never stop

決して止まることはない

Can't stop to the top cuz we got to rise

今が立ち上がる時だから、頂上に着くまで止まりはしない

We're headed to the top  Here we go baby, We don't stop

目指すは頂上のみ さあ行くよ、俺らは止まらない

Never looking back now, Showing you what we're about

もう後ろは一切振り向かない、俺らがなんなのか見せてやる

の対極に位置する。

Dawnで何度も何度も繰り返される振り向かない心意気、止まらないと言う覚悟、そんな前だけを見据えた姿勢が、雨では”独りよがりな自分でさえも待っていてくれた「君」”を理由に後悔の対象となっている。

 

そしてここまでは雨の2Bと2サビに限った話だけど、Dawnと雨で対照的なフレーズは曲全体を通してまだまだたくさんあって、そのコントラストこそ、この2Bと2サビが回想の場面でありその回顧される先がDawnの時代である根拠になる。

 

たとえば

We're never gonna run away

俺たちは決して逃げることはない

Never hide, Never fade, Gonna change the world

隠れない、色褪せない、世界を変えるんだ

遁れ 遁れ 遁れて

遁れ 遁れ 遁れて

一般的な「逃れ」ではなく「遁れ」と表記することによって、ただ”逃げる”だけでなく、”身を隠して逃げる”・”躊躇する”というニュアンスが加わっている。そしてそれは Dawn の run away と hide と見事な対比をなす。

 

雨の2サビとは共通の意識があったDawnの

We're gonna make it through the rain

雨の中だってたどり着ける

We're just gonna dance, dance, dance in the rain

ただただ雨の中踊る

も、雨のAメロ

遁れ 遁れ 遁れて  

何処までも 何処までも 何処までも潜み

一人ただ佇む 雨宿りの夜に

とは対照的な関係に陥る。

ネガティブでも気に留めずに乗り越えることができるはずだった「雨」が、”今”は逃げ隠れ何処までも潜みたいほど避けたい対象となり、あれほどまでに立ち止まらないことを信条としていたのに、雨宿りのためになら佇む”今”がある。

 

Dawnのテーマである「夢」に注目してみても、

Gotta chase our dream, Gonna be the kings

を追わないと、王者になるんだから

Searching for the light

を求めながら

が、雨では回顧が始まる前に

夢廃れ 廃れ 廃れて

と一才の輝きを失っている。

 

 

こうして Dawnと雨が繋がった回想の延長線上にあるのは

きっともう先無い

何故戻らない 晩成な訳無い

もう 君さえ 君さえ 

君さえいれば…

という感情の吐露。1サビ後の英語の語りかけとも通ずるし、その続きの回顧の導入と捉えた一節とは「先」という言葉を共有する。

この部分は回想した過去の感情一人になっている”今”の感情が入り乱れた部分だと思う。

先浮かれ 浮かれ 浮かれて

何時までも 何時までも 何時までも望み

の「先」と同じ「先」が今度は「無い」と言われているのであれば、浮かれて永遠を望んでしまった未来はないということであり夢も廃れていると考えていい。だって「晩成」=後から遅れて成功すること もありえないのだから。さらに言うとそんな絶望的な状況でも歩み始めた道に「戻らない」のはもう「君さえいればいい」境地に達したから。

そして最終的にはその「君」に対する執着は声も低く深く変えてしまうほどの重量を持ち、激情の渦かのようなドラマチックな間奏に傾れ込んでいくだけのエネルギーを宿す。

 

 

ついに「辿り着いた同じ地点。」

雨遁れても

傘の中 君いないのなら

愛削がれ 削がれ 削がれ

空も浮かばれないよ

羽捥がれても

手の届かない場所までも

君 焦がれ 焦がれ 焦がれて

飛ぶのさ Uh~

Uh~

風が吹き荒れ波は砕ける嵐のような間奏の間に何が起きたのか。主人公が「伴に生くのさ」と言っていたはずの「君」はどうなったのか。

その答えは "遁れたってそんなことに何の意味がある…!"とでも叫んでいそうな劇的な「雨遁れても」に込められている。圧巻のクライマックス。

 

また、「同じ地点」でありながらも、このサビが結末だと徹底的に印象付けるのは京ジェのフェイク。ここも 3回全く同じサビが繰り返される Dawn のラスサビと同じ構成であり、ますます雨とDawnが同じ世界線にあると言いたくなる理由である。

わたしは常に京ジェへの激情に駆られているので(急に怖いこと言うな)最初にこのフェイクを聴いた時はもっとラスサビ最初の「雨遁れても」くらい感情が爆発した劇的なフェイクの方が聴きたい!それほど狂った最後じゃないのか!ライブでなら聴けるのか?!とほんの少し、ほんの少しだけ不満だった。

でも雨とDawnの時の流れを紐解いたことで、雨の主人公が最後はもう言葉もなくメロディーも紡ぐしかないほど憔悴しているのかもしれないと納得した。

そんな意味でも、この2曲における時系列の妙は特筆すべきだと思う。

 

 

というわけで、このように時間軸を整理していくと雨の構成は

現状整理・気づき →「辿り着いた同じ地点」 

→ 語りかけ → 回顧への導入 → 回顧 

→ 絶望と狂気 → 「辿り着いた同じ地点」'

となっていて、このうちの "回顧" の部分の解像度をこれ以上なく上げるのが Dawnという曲なのである。

 

やっぱり、雨とDawnって同じ世界線じゃん…

 

 

 

雨の作詞作曲の山本加津彦さんから曲に対する想いは残念ながら聞けていない。SixTONES、というかSony、お願いだからいつかの周年で作詞作曲陣へのインタビューとか対談とかやってくれ。ほら、佐伯さんとか佐伯さんとか佐伯さんとか)(脱線)

でも編曲を担当し、NEW ERA 以降 SixTONESと長い歴史を育んできた Naoki Itai さんがこう仰っている。

 

これを真っ直ぐに受け取れば、「同じ地点」に辿り着いた雨の主人公はもう「狂気」の域まで辿り着いてしまっている。なんなら京ジェのフェイクに至っては狂気を経て憔悴している。

そしてそんな狂気から抜け出すのが難しいことをわたしたちは誰よりも知っているはず。だって So Addicted も Mad Love も、なんならその前に Hysteria だって知っているから。

 

だから雨の主人公はもうこのまま狂ったままかもしれない。狂気を経て到達したのは諦念で、忘れてしまって廃れてしまった夢を繰り返す夜明けと伴に追い続けることはもうできないかもしれない。

 

 

でも、夜明けを追っている時から、始まりの時から、雨は降っていたのだ。

 

舞い踊っていたのも雨の中だったし、今は遁れたい衝動を突き動かす雨も、乗り越えられていた時代は確かにあったのだ。

 

 

だから雨とDawnが同じ世界線であることは

絶望であると同時に救いでもある。

 

どれだけ真摯な想いとひたむきな前向きさと強靭な意志を持って歩み始めたのか、根拠がはっきりするほど、「君」を振り返った時の絶望は増すけれど、同時に、こんな「雨」に対してでさえ、遁れるどころか、浴びて舞い踊ってやろうという自分がいたことは救いになるはず。

そんなことを思ったりする。

 

 

 

わたしにとって雨は今期もやってきたSonyさん恒例の奇襲(変な日本語)の時点でもう好きになることが確定している曲だった。

ご存知の方もいると思うけれど、わたしはSonyの楽曲説明文担である。特にCall meが発売されて以降 Call me の系譜(つまり自分に刺さりまくる楽曲)を説明文の時点で察知する能力が研ぎ澄まされており、Make Upなんか説明文が解禁されただけでツイートまとめを作れるほど暴れていた。

min.togetter.com

(Call meの系譜曲たちは 失恋SixTONES と銘打ってタイムラインを精製したこともある。執着。)(てかここでも”時間”の話してる!)

 

 

そんなわたしの琴線に今期 触れたのが雨だった。ロックバラードであるからにはCall meに弱い自分ではないだろうけど、邦ロックオタクの自分の方が刺されるのだろうなと思っていた。好きなものが多ければ多いほど人間は急所が多くなるから。

 

digeSTの時点で予想通りのことが起こった。

www.youtube.com

BIGMAMAというバイオリニストとロマンチストの権化のようなボーカルのいるロックバンドをこよなく愛する身として、ストリングスの厚みがあるギターロックなど大好物でしかなく、しかも、歌詞が、ワンフレーズだけでもう重いだなんて!!!!!!(歓喜

愛は削がれてるし?羽はもがれてるし?君に焦がれて飛んでるし?なにこれ最高でしかない!!!!!!(狂喜)

 

そしてこの時点でもう大好きなのは確定していたのにCDを手に入れて聴いたら雨はまた新たな角度で大好きな曲へと変貌した。

 

だって雨とDawnって同じ世界線じゃん?

 

 

何かから遁れてきたというよりは 夜明けを求めるように猛烈な勢いでこの道を選んできたに違いないけれど。こんな想像力が歩みを進めすぎた僻地で今日もわたしはSixTONESに焦がれ、飛ぶ。

 

 

 

 

 

 

SixTONES - Dawn: Lyrics: ONIGASHIMA Music: Andreas Ohrn / Peter Bostrom / Didrik Thott

SixTONES - 雨:Lyrics: Katsuhiko Yamamoto Music: Katsuhiko Yamamoto / Takashi Fukuda Arrangement: Naoki Itai / Takashi Fukuda