Chasing Diamonds

長文考察愛だだ漏れ系aimのぶろぐ。140字じゃ足りない愛は原石を追いかけて。

憧れの原石に一生ものの恋を。

 

 

 

京本大我さんが好きだ。

 

どれだけ好きか、ありとあらゆる形容詞やら世界一やら宇宙一やら色々と付け足したい気持ちはあるけど、1番シンプルに。 

私は京本大我さんが好きだ。

 

私は自分の直感をすごく信用しているところがあって、一度直感的に好きだと思った人やもののことを永遠に好きだというとんでもない自信を持っている。

感受性が強すぎる分の遠回りを何度もしてきたけど、その中でも、他人でもものでも自分でも、”好き”を疑ったり嫌いになったりしなきゃいけなかった時が一番苦しかった。

 

そんな人間だから推しにまでなる人はみんなずっと好きな気がしてるけど、その中でも誰よりも強く、確実に、"ずっと好きな自信"があるのが大我さんだ。

 

こんなに多面的に、深く、何から何まで好きだと思えた上に、安心して好きでいられる人を私は他に知らない。

 

 

 

 

私が大我さんに抱いているこの気持ちは”次元が違う”恋であり、その主成分は強烈な憧れに基づいた愛なんだと思う。

 

もちろん、アイドルのファンらしく大我さんを男の人として好きで、

「こういう人が好み」「彼女とはこういうことをしたい」「理想のシチュエーションはこう」「自分は彼氏だったらこうありたい」

教えてくれるそういう話が自分にとって全くもって現実にならないことを自覚した上で、勝手にきゅんとしたりドキッとしたり頑張ろって思ったりする。

 

どんなに日々長文を綴っていようが、神々しい姿とか逆に素に近い姿を見たら語彙力は遥か彼方へ飛んでいくし、らじらーの彼氏企画とかANNのジングルを聴くたびに、毎回懲りずに墓を建てる。(Twitterでは周知の事実)

 

大我さんが大好きで大好きで大好きで、これが恋じゃないなら何が恋なんだろうと思う。不毛だの無駄だの言う人がいたとしても、これはきっと恋。

 

でもこの恋はあくまでもこの次元には存在していない恋なんだと思う。

簡単にはまとまらないくらい好きなのに、

"こんな好きな人もう絶対に見つからない!大我さんだけがいい!他の人のものになんてならないで!"

とは不思議と一度も感じたことがないし、ライブ映像を見るたびに隣で騒ぐ親友と違ってファンサもニコニコしながら見れる(急に引き合いに出してごめんね)

 

これはきっとあまりにも好きで、尊敬していて、自分の次元にいることがないレベルの"好き"の気持ちで恋なんだと思う。

好きだなあってずっと考えてると勝手に泣いてるくらい、色々なものを超越した"好き"。

いてくれることがもう好き。

 

 

だからこそ、本当に、ずっと好きな自信がある。

 

 

私の中に突然ふわりと優雅に着地した大我さんの居場所は、ずっとずっと大我さんだけのものだ。

誰も入ることができない大我さんだけの領域が確実にある。

それはとてもすごいことだし、そう思えることは本当にとても幸せだなと思う。

 

たとえ現実的にずっと私の隣にいてくれるようなとっても好きな人ができても、大我さんが大好きという気持ちはきっと変わらない。

そのくらい、そういう特別な次元で好き。

 

 

 

そしてそれはとにかく京本大我さんという存在自体が私の究極の憧れだからだと思う。 

憧れは究極の形を取ると終わりのない恋やその原動力の愛になるんだなあと大我さんを好きになって知った。

私は決してアイドルになりたいわけでも、大我さんのお仕事を目指しているわけでもない。

でも1人のひととして、存在として、大我さんが大好きで大好きで大好きで憧れで憧れで憧れ。

 

 

 

それは例えば努力の天才であるところ。

誰もが羨んでしまう資質を生まれ持っている”からこそ”、呼吸するように努力をし、努力に対して絶対に妥協しない大我さんが私は大好きだ。きっと凡人には想像し難い理不尽を経験しているのに、逃げずに難しい方を選ぶ大我さんに私は憧れてしょうがない。

 

「まだまだ勉強できることがあるって幸せ」と言う大我さんが好きだし、「継続することで知り得る世界があることを僕は知ってしまった」と言う大我さんが大好き。

しかもこの努力の背景というか、この努力の理由になる”弱さ"から絶対に逃げずに向き合い続けるところ、さらには”弱さを見せる”強さまで持っているところが大好きで憧れだ。

大我さんは10年後の自分へのメッセージを書くときに 「自分にはどこまでも厳しく生きているか。己の心に潜む数えきれぬ弱さと向き合いどうか強く生き続けてください」と書く人だ。

"元々京本大我という人間にあんまり自信がない”、最近になって”アイドルの自分も捨てたもんじゃないなと思った笑"、と言う人だ。

裸でぶつかると覚悟を決めて、とんでもなく強い想いと美しさを届けてくれたのに、「思い描いていたクオリティが100点だとすると20点だったね」と綴る人だ。

ニュージーズのお稽古を振り返って咲妃みゆさんが「必死に切磋琢磨する姿も包み隠さず曝け出してくれる人」と仰っていたのもとても印象的だった。

 

一介のファンが見てる姿が全部だなんて到底思ってないし、大我さんのセルフプロデュース力を何よりも信頼してるけど、というかだからこそ、”いろんな姿を見せること”を大我さんは意識してるように思う。その中にはもちろん”弱い自分”も含まれていて。

 

舞台稽古中は地獄のような日々で必ず毎日逃げ出したくなるほど苦しいこと、それでも幕が閉じる時にはいつもまたやりたいと思っている自分がいること。自分は完璧じゃないくせに完璧主義でいたがること。

 

そういう側面を曝け出す強さもありつつ、それを塗り替えていくことを諦めない強さもある努力の天才な大我さんが私の憧れ。

繊細だからこそしなやかな強さを持つ、という対局に位置するものを統合する力があって、それに常に磨きをかけている大我さんが心から美しいと憧れる。

 

  

例えば自分の軸を守りながら常に周りを思いやれるところ。

自分のことをよく理解していて、自分らしさの軸を守る力のある大我さんが大好きで憧れだ。

 

夢を聞かれたら「自分の世界観を守り続ける」「自分らしい音楽をいつまでも歌っていたい」と言うくらいの軸の強さは、SixTONESになるまで1人で戦ってきた時間が長い人だからこそ持てるもので、それが堪らなくかっこいいと思う。

 

でもさらにすごくて憧れるところが、この軸の強さと周りを見る力を両立させられているところ。

きょも担みんなが大好きなところだと思うけど、大我さんの「一緒に」は魔法の言葉だ。

儚く美しい姿に努力の天才であるという事実も重ねた大我さんはどこまでも強く遠い存在に見えてもおかしくない(摩訶不思議でかわいいお坊ちゃんなところは(大好きだけど)一旦目を瞑る)。でもそんな人が私たちに言葉を綴るときに必ずと言っていいほど選んでくれるのが「一緒に」という言葉だ。

 

大我さんを好きになるかならないかの頃に、自己紹介文に「己の心を大事に今を生き続けるので一緒に幸せになりましょう」と書くこの人は一体どんな人なんだろうと惹かれたのをとても鮮明に覚えている。この言葉は私の京本大我像の象徴になる言葉のひとつ。

 

雑誌のインタビューで“ファン”という言葉が軸になる文章を1番頻繁に使うひとな感覚もなんとなくだけどあって、いつもきゅんとしている。

そして大我さんはデビュー前最後のファンへの感謝の気持ちを、SUPER BEAVERひとつを通して伝えられたら、と言う人だ。

ひとつ

ひとつ

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どうか、どうか歌詞を全文読んでみてほしい。

自分の軸は確実に持っていて譲らないけど、共に歩んでいこうと、一緒に生きていこうと、いつだって手を伸ばしてくれる大我さんが大好きでしょうがない。

この世の仕組みが怖い時も、一緒に強く生きようと言ってくれる人。

こんな人になりたいという憧れの最たる姿。

 

 

例えばひとつひとつの繋がりや積み重ねを宝物のように大事にするところ。

周りの人みんなをめろめろにでろでろにする大我さんが大好き。

 

それはあの天性の愛らしさの力もあると思うけど、大事な人のお誕生日を絶対忘れないところとか0時ぴったりに連絡するところ、デビュー前の感謝を伝える人たちに「フィールドは変わってしまったけれど確かに苦楽を共にした戦友たち」と丁寧に書くところ。こうやって自分と関わる誰に対しても常に礼儀正しくて思いやりと愛情があるからこそ、ここまでたくさんの人に大我さんは愛されるんだと思う。

 

ミュージカル界の錚々たる面々の寵愛を受ける、というかでろっでろに溺愛されてる大我さんは全きょも担の大好物だと思うし、あのマウント合戦はいつ見ても怖くて()楽しい。

東京和奏の編集さんとか沸騰ワードのスタッフさんもめろめろにされてる証拠をいっぱい見せてくれる。

そして特に紅白出場が決まった時の三田佳子さんのブログは本当に大我さんの丁寧な人付き合いの象徴だったと思う。京様も共演すると聞いて驚いたというエピソードもある大女優さんに、共演から時間がたった今でも素晴らしく素敵な言葉をもらえる大我さんは、常に心を配れる視野が広い人だし、関係性を続けることに力を注げる人だし、心の温度が高い人だと思う。

丁寧な積み重ねがこんなにも素敵な人を構成するんだと教えてくれる憧れ。

 

 

例えば好きなものをとても大事にするところ。

アニメでも邦ロックでも、オタクを隠さない大我さんが大好き。

 

話してるだけでテンションが上がってしまうほど好きなものがあるってとっても豊かな人生なはずなのに、それを隠した方がいいんじゃないかって思ってしまうことは今の社会では多いと思う。本当はそれがおかしいんだけど、そう思いがちな時に大我さんは勇気をくれる。

 

好きなことは好きだって胸を張って言っていいし、好きすぎて暴走することがあってもそこも含めて自分を愛してくれる人はいるんだって証明してくれる。”好き”の気持ちが自分の良さを相手に伝えられることとかチャンスに繋がることも見せてくれる。

 

スキルを高めるために密かに努力していることは?という質問に「好きの気持ちを忘れずに取り組むこと」と言ってしまえるところも、大我さんが自分の”好き”の気持ちを大事にしている証拠だと思う。

これは努力を呼吸することくらい当たり前にしているからこそ出てくる言葉だと思うし、それがまずすごくて大好きなんだけど、努力が当たり前になりすぎると出てきかねない苦痛や義務感を”好き”の気持ちで変換できるという魔法だと思う。

大我さんの ものや人の愛し方が憧れ。

 

 

 

”好きなところ”あげたらキリがないから、”ずっと”好きでいる理由として”憧れな理由”に絞ったつもりだったけど、その制限の中でも時間さえ許せばいくらでも言葉は溢れ出てしまうし、また好きでいる日が積み重なっていくごとに新しい好きをくれる大我さんが大好きなので、そろそろまとめておかないと永遠に言葉を紡いでしまう。

 

 

 

とにかく。

 

SixTONESを好きになった最初の最初からずっと大我さんが好きで、私はそれがとっても幸せ。

 

美しい京本くんを好きになって、突拍子もない摩訶不思議なきょもを好きになって、最高にかっこいい大我さんを好きになった。

好きになってからの日は浅くとも、毎日毎日好きが募る一方で、びっくりしたり、嬉しくて仕方なくなったり、時々(本当に時々)は大好きだからこそだいきらいで苦しくなったり、普通の生活じゃ絶対に体験できない気持ちの動かされ方をしてる。

 

元々愛してやまない音楽ともお洋服とも言葉とも、大我さんとSixTONESはたくさん繋がってくれて、だからこそここまで好きになったのかもしれないけど、これは卵と鶏の話レベルで私の”SixTONESが好き”という気持ちの周りをぐるぐる回っていて。

自分が大事にしてることを大事にしたまま、時にはもっともっと大事にしたくなる気持ちにさせてもらいながら、大我さんとSixTONESは日々好きな気持ちを更新させてくれる。

 

そんな日々が愛おしくて幸せで仕方ない。

 

 

そしてとても大それたことで、いちファンが言うのは間違ってることかもしれないけど、有言実行が座右の銘の大我さんが憧れだから、言いたいと思ったことがひとつ。

書きながらとんでもないエゴの塊なことを自覚して怖くて仕方ないけど、それでも言いたいくらい本気で思ってしまっていること。

 

いつか大我さんが、そしてSixTONESが、纏うお洋服を作る人になりたいです。

 

まだまだまだまだ未熟でしかない私だけどなるために必要な努力を絶対に積み重ねる自信はあるから。

言葉で伝えずとも、とびっきりの愛情と感謝を感じてもらえるくらい、それくらい素敵なお洋服をいつか届けられるようになりたい。

恩返しだなんて思うことこそ烏滸がましいのかもしれないし、ただただ自分の夢という名の欲を押し付けてしまうことなのかもしれないけど、こうしてもらってしまっているとてつもなく大きな気持ちをどうしても返したくて、そのために私ができることは今のところこれしか思いつかない。

愛のあるお洋服がどれだけ人を輝かせることができるか私は信じてるから、あのTrackONE IMPACTの白衣装のように、そういう愛に溢れたお洋服をSixTONESにはずっと着ていてほしい。そうやってずっと輝いてほしい。そしてそれを実現させる側にいつか、携わってみたい。

夢、というのは欲を取り繕うための言葉なのかもしれないけど、それでもこれを夢と掲げて走ることできっと私はまたたくさん力をもらえてしまうから、叶わずとも、この想いを持っていたい。

そしてその想いと共に。どうか。今日も "一緒に "頑張らせてください。

 

 

 

改めて、京本大我さん、26歳のお誕生日おめでとうございます。

 

同じ時代に同じ国にいて、大我さんの存在を知って、好きでいられることがとても幸せです。毎日好きなことが誇らしいです。それがとても嬉しくておかげで毎日楽しいです。大好きで大好きで仕方ないです。きっとずっと、本当にずっと。これは一生ものの恋だから。

 

生まれてきてくれてありがとう。そしてここまで生きて、アイドルでいてくれることを選んで、選び続けてくれてありがとう。音楽を愛してその愛を奏でる音楽にのせて届けてくれてありがとう。

今日この日に存在するそのままの京本大我さんでいてくれてありがとう。

 

 

歴史上一番素敵な26歳の一年を祈っています。

 

 

 

2020.12.3   aim